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東京五輪開催へ…前哨戦で明らかになった「有観客と無観客の違い」

ホストの役得より五輪の本質的価値

聖火

7月23日に開会式に向けて国内をめぐっている聖火

 そんな人たちが日本だけではなく、世界のいたるところにいます。その人の頑張りが、それぞれの国に大きな光をもたらす人たちがいます。なでしこジャパンや東北楽天ゴールデンイーグルスのようなチームや、羽生結弦選手のような存在が、世界中にいます。心に「光」をもたらしてくれる人たちが、この舞台を今この瞬間も目指しています。  世界の人々が集い、世界に「光」をもたらす舞台。  そういう機会を日本は「預かった」のです。  日本人が楽しむためのお祭りではなく、世界を代表して機会を預かったのです。ホストの役得としての観光客訪日や祝祭感は得られないかもしれませんが、この大会の価値の本質は変わっていません。むしろ、分断が加速するコロナ禍のなかで高まってさえいます。  ワクチン接種や検査・治療のような「知恵」と、不自由や面倒に耐える「心」を集めて、世界全体で安心安全な大会を作り上げることができたら、それこそがコロナ禍を乗り越えるための大きな一歩となるはずです。人間はコレを乗り越えられるんだ、という手応えを生むはずです。

「五輪だけが特別」は本当なのか?

 昨今よく聞かれる「子どもの運動会はできないのに、どうして五輪はできるんですか?」という質問。  五輪だけが特別扱いされているという疑念。  それはまったく逆です。子どもの運動会ができるような社会を取り戻すために、五輪・パラリンピックが最後の砦として奮闘しているのです。「何もしない」ことを正義として、あらゆるリスクを避けるような世界の動きに対して、五輪・パラリンピックは世界最大級のチカラを持つ舞台であるからこそ、この1年間踏み留まってこられたのです。  そもそも子どもの運動会にどれほどのリスクがあるでしょう。子どもたちは同じ学校に普段から通っているわけで、リスクという意味では普段の授業よりも運動会が際立って高いということはないはずです。  親御さんが学校に行くとしても、家族間での交流を目的とするものでもなく、お弁当だって「家族で」食べるものでしょう。無論、何もやらないほうがリスクは低いでしょうが、やらないことで得られる効果が大きいとは思えません。
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「できない」と決めつける前にやるべきこと
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