スポーツ

東京五輪開催へ…前哨戦で明らかになった「有観客と無観客の違い」

思考停止せずに「やる方法」を考える

国立競技場

7月23日20時より国立競技場にて開会式が開催される

「できない」で思考停止せず、「どうにかしてできる」ように考えを変えていけば、やりようはあるはずです。お弁当の時間はなくして午前中で終わりにするような短縮型でもいいでしょう。来校する親御さんは普段から子どもたちと一緒にいる同居家族に限定してもいいでしょう。密を避けるために、高学年と低学年で実施日を分けたっていいはずです。無観客開催だってひとつの手です。思考停止しなければ、やれることはたくさんあります。 「子どもの運動会はできないのに」を生んでいるのは、そういう思考停止です。「できない」と決めつけてしまっている、その質問を投げかける人たち自身です。運動会すら「できない」と思考停止している人たちの後ろ向きな気持ちが、世の中のあらゆるものを押し留めているのが現状です。 「人流」という言葉も、そうやって生まれたものです。誰とも交わらず、会話や接触をせず、それぞれが別個に出歩いたり孤独にグルメを楽しむだけで感染爆発する病気などあるはずがありません。 「交流」や「会食」にこそ懸念があるにもかかわらず、「外に出ればどうせロクなことをしないだろう」という性悪説から来る疑いでもって、あらゆるものを止めようとする動きが見つけ出した標的が「人流」です。それはあと一段階極端にすれば「人間が滅びれば、感染症も滅びるのに」と言い出すような話です。

世界からの信頼に応えた先にあるもの

 もしも東京五輪・パラリンピックが「できない」と思われているなかでやり通すことができたら、「やりようはある」という気持ちにシフトする人が生まれるでしょう。日本だけではなく世界中で。リスクを恐れるだけでなく、それぞれが人生の楽しみや生き甲斐を守りつつ、安心安全を追求できるように世界が変わっていくはずです。  そのとき五輪・パラリンピックを開催した手法や、その詳細をまとめたプレーブック、厳格な行動制限を守り抜いたアスリートたちの姿は、この大会が世界に遺すレガシーとなるでしょう。そして世界の人々は、すべてを野放図にやれるようにはならないまでも、本当に大切なこと、人生を懸けてやりたいことならば「どうにかしてできる」世界に戻っていくのです。  お互いがお互いの人生を尊重しながら、運動会がやりたい人はできるような、修学旅行に行きたい人は行けるような、五輪・パラリンピックがやりたい人はやれるような世界に。  世界のアスリートたちは、まだ十分にワクチン接種が進んでいないこの国に、それでも東京はきっと素晴らしい大会にしてくれるはずだと信じてやってきます。向こうからすれば「トーキョー変異株」を恐れてもおかしくない状況で、東京と日本に信頼を寄せてくれています。そこに目指す舞台があるから。人生を捧げてそこでやりたいことがあるから。  世界から預かったこの機会、最後まで開催への尽力をつづけて、世界のアスリートたちの信頼に応えたいものです。自分たちだけのためではなく、世界のために。どうにかしてできるように。
横断幕

バスケやスポーツを通じて世界に元気が生まれますように

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