更新日:2021年07月08日 14:31
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大谷翔平の恩師、栗山監督「翔平がベーブ・ルースと比較されたことが嬉しかった」

遂にゴジラ松井を越える一発を放った大谷翔平

大谷翔平

「大谷翔平二刀流 その軌跡と挑戦」(扶桑社)より。撮影/中條未来

 先発して7回を投げたナイター明けのデーゲームで、勝ち越しホームランを放った今日の大谷翔平。直近20試合で15本目のホームランとなった一発は、松井秀喜氏の持つMLB日本人年間最多ホームラン(31本/2004年)を超える今季32号となった。  今から遡ること7年前。プロ入団2年目、当時二十歳の大谷翔平がプロ野球史上初となる”二桁勝利・二桁本塁打”(11勝10本)を記録した。その軌跡と挑戦を刻んだ「大谷翔平 二刀流 その軌跡と挑戦」を制作した取材班が、当時の証言を振り返りながら、27歳の大谷翔平を語る。  今回は栗山英樹監督(北海道日本ハムファイターズ)の証言を交えながら、ゴジラを超えた大谷の入団当初のエピソードとベーブ・ルースを語ってみたいと思う。

ファイターズ入団は栗山監督の存在が大きかった

「高校時代の無名な僕を知ってくれていた栗山さんが監督のチームなら……」  卒業と同時にアメリカ行きを表明していた大谷翔平が、自らの夢を翻し、ファイターズ入団を決断した理由のひとつには、栗山英樹監督の存在があった。  取材当時、栗山監督は大谷について「正直、アメリカに行く気満々だった」と語っていた。しかし一転、栗山監督は球界の宝を預かる身となったのである。二刀流を大前提として「翔平の身体を壊さない」ことを方針に掲げ、「大谷翔平を日本ハム大学に預かった」つもりでメジャー移籍までの5年間を費やし、二刀流の礎を築き上げた指揮官だ。 「翔平は正直、高校ではピッチャーとして結果を残せなかった悔しさを持ってプロに入ってきた男。でも投球フォームはバタつかないし、大柄な割にはまとまっていたから1年目の合同自主トレでキャッチボールを見たときから、大丈夫そうだなとは思ってた」  と語るように、すでにプロ入団時点で投手としての資質には太鼓判を押していたのである。では打撃に関しては、当時の大谷をどう見ていたのだろうか。 「バッティングに関しては、入ったときから言うことはなかった。コイツ誰に教わったんだ? っていうレベルで(笑)。オレと同じ左打ちとして、とても好きなタイプの選手でした。最短距離でバットを出すし、テイクバックがある程度大きくて、割れ(※グリップがトップの位置に)がバッと入る“プロで打てる打ち方”をしてましたから」  打撃も投球同様に「完成していた」というわけである。
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プロ入り2年目で大ブレイク
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その軌跡と挑戦

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