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天皇や皇族は奴隷ではない。権限がないことと自由や人権がないことは違う/倉山満

傀儡と立憲君主はまったく違う存在

皇居 八木氏の謬論のどこが誤りか、教授しよう。八木氏は「天皇ロボット説」に立脚している。宮澤俊義東京大学法学部教授が唱えた。宮澤の説を本人の言葉でまとめれば「天皇はメクラ判をおすロボット」で、政治に一切の影響力を行使してはならないとする憲法学説だ。学界の通説である。だがこの説は、世界の文明国の通義とかけ離れた異様な説である。  今回に限らず八木氏が金科玉条の如く引用することが多い『英国憲政論』には、どこにも「君主は政府の傀儡になれ」とは書いていない。それどころか、「君主の影響力の行使の仕方」について微に入り細をうがって解説しているのだが、そこは読んでいないのだろうか。  そもそも、八木氏は傀儡(ロボット)と立憲君主の違いを理解していないらしい。傀儡は、権限があるのに振るわせてもらえない存在である。立憲君主は自ら権限を放棄した存在である。まったく違う。

天皇や皇族は、奴隷になれと言うのか?

 具体的には、傀儡は政治に影響力を発揮しようとしてもできない。あるいは、そもそも権限を取り上げられている。一方で、立憲君主は政治に影響力を行使して構わない。君主の発言が政治家を通じて国政に影響を及ぼしても構わない。君主の発言を聞くか否かは、政治家の責任だ。立憲君主制がこのような形式なのは、権限と同時に責任を負わないようにする知恵だ。この点で、今の象徴天皇でも帝国憲法下の天皇でも、立憲君主であるのは変わりない。  一度でも社会で働いたことがある人間には説明不要と思われるが、権限の有無と、影響力の有無は違う。  そして、権限がないことと自由や人権が無いことは違う。  なるほど、「天皇ロボット説」に立つ八木氏によれば、天皇や皇族には権限も自由も人権も無いことになる。だが、世界の立憲君主国は権限を制約しているだけで、「君主とその一族は自由も人権もない奴隷になれ」などと要求しない。
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すべての自由を放棄したロボットになる訳ではない
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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