更新日:2022年02月22日 17:48
ニュース

猪瀬直樹が語る石原慎太郎「一回り以上も年上の石原さんが頭を下げてきた」

「あの人は枯れない泉なんだよ」

 そんな強烈すぎるリーダーシップとトップダウンで賛否両論を呼んだ変人は、猪瀬氏を「作家活動は続けていいから」と口説いたという。 「石原さんは『都知事になってから、(作品にする)テーマが7つ思い浮かんだんだ』って言うんですよ。実際、あの人は’08年に『火の島』という作品を僕に見せてきた。これが400ページに及ぶ純粋なラブロマンスなんです。さすがに、この人は何考えてんだ?って思ったね(笑)。でも、同時にもの凄い刺激を受けた。  僕は真面目だから石原さんと違って毎日、副知事として夜遅くまで仕事をしていたんだけど、その翌年(‘09年)は一念発起して5月の連休を全部執筆活動に当てて『ジミーの誕生日』(現在、『昭和23年冬の暗号』として再刊中)を書き下ろした。A級戦犯・東條英機の処刑をなぜ皇太子(現・上皇陛下)の誕生日にやったのか?という謎解きをする作品です。  つまりね、あの人は枯れない泉なんだよ。次々と書きたいことが溢れてくる。その影響を僕も受けたわけだけど、都庁の職員もそうだったはず」

環境問題に対する意識の高さ

 猪瀬氏が特に印象に残っているのは石原氏の環境問題に対する意識の高さだった。 「石原さんは『たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える』というドイツの宗教改革者ルターの言葉をよく口にしていてね。それで、僕は副知事に就任してすぐの頃に、宮内庁宿舎跡地の森を伐採して参議院宿舎を立てる計画について、『東京都として中止を訴えましょう』と進言したんです。  石原さんは少し躊躇しながらも、都知事として反対を明言して計画は白紙撤回された。実はこれで僕は”都議会のドン“(内田茂元都議)に目の敵にされるようになったんです。参議院宿舎建設事業を推進していたのが、ドンだった。石原さんは勘のいい人だから、禍根を残すことに気づいていたんだと思う」  それでも石原氏は、猪瀬氏の進言をよく聞いたという。 「中国を『支那』と呼んで批判する石原さんに、『中国と言いたくないのなら、チャイナと言ったらどうですか?』って提案したことがあった。石原さんは『世界の中心』を意味する中国という呼び名に抵抗があったわけ。  すると『そうだな』と言って定例会見ではチャイナと呼ぶようになった。2か月もすると支那に戻ってしまうんだけど(苦笑)、強いこだわりをもっている半面、反対意見も含めて人の話はよく聞く。あの人にとって、都政もクリエイティビティを発揮する作家活動の延長線上にある仕事だったんです。だから、政策に対する意見も興味を持って聞いてくれた。僕と石原さんが同じAB型で、相性がいいというのもあったけどね」
次のページ
「猪瀬さん、日本を頼む」
1
2
3
おすすめ記事
ハッシュタグ