更新日:2022年02月22日 17:48
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猪瀬直樹が語る石原慎太郎「一回り以上も年上の石原さんが頭を下げてきた」

「猪瀬さん、日本を頼む」

 その後、猪瀬氏は石原都政を継承しながらも、1年ほどで都知事を退任。だが、石原氏との付き合いは続いた。 「連絡は取り合っていて、’16年には僕の妻(蜷川有紀)を連れて、石原邸に挨拶に行ったんです。そうしたら妻が画家として活躍していたことを知った石原さんが、自分の画集を持ち出してきてね。『最近描いた絵も見てよ』と油絵を引っ張り出しては、誇らしげに自慢して、その無邪気な姿に蜷川有紀は『ほっこりした』と笑っていた。でも、突然真顔になって『猪瀬さん、日本を頼む』と3回も僕に頼んできてね。最後までに日本のことを考え続けた人だった」

直接問いただせなかったことは……

 実は、猪瀬氏には一つだけ石原氏に直接問いただせなかったことがあるという。 「ある式典で都庁幹部が整列して君が代を歌うときに、石原さんは『君が代は』の箇所を『わが日ノ本は』と替えて歌っていたんです。石原さんは天皇陛下には敗戦責任があるという主張を雑談の端々から匂わせていたから、君主でなく日本を讃える歌として歌っていたんだと思う」  政治家、作家として死ぬ間際まで筆を執り続けたという石原氏。そのこだわりの強さからたびたび物議を醸す発言を残したが……東京から国を変えた取り組みは時代を超えて生き続けそうだ。 <取材・文/週刊SPA!編集部>
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