3・11の震災が、彼女を新たな夢に突き動かした。
技巧派の翔太コーチの“褒めて伸ばす”アドバイスを受けて、デビューに向け成長中。
――東京進出はいつ?
リアラ:3・11東日本震災の2か月後です。私も被災者の1人になって、仕事も一時休業状態に。考える時間ができたときに、やっぱり“東京で勝負したい、歌舞伎町No.1になりたい!”という目標が明確になりました。仙台でも稼いでいたので自信満々だったのですが……歌舞伎町の壁はやっぱり高かった。もう1か月後には仙台に帰りたいと思いましたね(苦笑)。
――それほど差があった?
リアラ:当時、歌舞伎町は“お酒は飲んでなんぼ”のイケイケのお客様が多かったんです。お酒が極端に弱かった私は太刀打ちできない。でも、私にも意地がありました。1年掛けて、お酒を飲めるようになるのに頑張りました。ウィスキー飲んで吐いて、テキーラ飲んで吐いて……。繰り返すうちに徐々に耐性がつくというか……衝撃になれるという意味でプロレスと一緒ですね。もちろん、この克服方法は皆さんにオススメはしませんが(苦笑)。
――お酒を飲めるようになって、勢いに乗れた?
リアラ:私、お酒飲むとテンションが20倍になるんです。“うるさい”と感じる人もいれば、“超楽しい”と思ってくれるお客さんもいる。お陰様で勤めていた「蘭〇」さんでは、1日最高29卓被り、バースデー月指名500組、3年連続シャンパンタワーを達成。その後に入店した「ルシアン」さん、「オレンジテラス」さんでも1か月でNo.1に就けました。最高月収は300万円超えて、最高年収は……3000万円にいかないぐらいですかね。でも、お金はぜんぜん残ってないんです。私の営業スタイルが“仲間と飲む”で、同業のキャバ嬢が多かったんです。私を指名してくれるのが友達で、今度はその友達の店に行き指名する。お金がぐるぐる回っているんです。結果、残らない(笑)。
フィジカル面は、DDTプロレスリングのセクシーユニット“フェロモンズ”の今成夢人コーチが担当。
――念願の歌舞伎町No.1になれて、次は。
リアラ:キャバクラ嬢として働きながらも、やっぱりずっと“プロレスラー”になる方法をどこか模索していたように思います。もともと、父は柔道もやっていた格闘技好き、12個上の兄もプロレス好きで、録画したワールドプロレスリングを見るのが好きでした。私は大仁田厚さんの“大仁田劇場”に魅了されちゃって(笑)。アナウンサーをビンタするわ、グレート・ニタで魔神として現れるわ、子供ながらにドキドキで! nWoにも傾倒して、小学4年生で初恋の相手が天山広吉選手だったんですよ。本当に好きで、あまり周りには理解されなかったんですけど(笑)。あとはTBS系「ガチンコ!女子プロ学院」を見て、神取忍さんが練習生たちに無理やりちゃんこ鍋を口にねじ込むシーンが大好きでした(笑)。私もこれやりたい!と神取さん、風間ルミさんのいた団体「LLPW」に履歴書を送付したこともありましたが、当時小学校4年生だったので、資格を満たしてなかったのでダメでした。あと、当時から父や母はプロレスラーには否定的だったこともあって、封印していて……。
――でも、抑えきれなかった。
リアラ:キャバ嬢をしながらも、もう30歳を超えていたし無理かな……と揺れていました。お客さんや友人知人に「なれないかな?」と相談してみたり。そんなときに、サイバーファイトの高木大社長を紹介されたんです。面接段階で、「君を知っているよ」と言われて、自信が持てました。年齢のネック、運動経験がないことも一切気にしないでくれて、私の夢を後押ししてくれました。
※編集部注釈 サイバーファイトは株式会社サイバーエージェントの傘下にあり、DDTプロレスリング、プロレスリング・ノア、東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスの運営をしている。