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「木更津キャッツアイ」放映から20年、聖地はどうなった?商店街は当時から様変わり #ニュースその後

4年ぶりに開催「やっさいもっさい踊り大会」とは

木更津キャッツアイ

作中で使用されたオジー像(当時筆者撮影)

 木更津を代表する踊りであるやっさいもっさい踊りは、木更津港まつりのイベントのひとつとして行われる。キャッツアイの作中でも言及され、それをきっかけに知名度は全国区となった。やっさいもっさい踊りは木更津駅西口の「富士見通り」を例年4000人ほどが練り歩く大規模なイベントで、今年はコロナ禍以降、4年ぶりに開催されるのだ。 「やっさいもっさい踊りには、キャッツアイファンによる『木更津キャッツアイ連』が参加してくれていたんです。先日も、キャッツアイの監督を務めた金子(文紀)さんがいらっしゃって『キャッツ連が復活するといいですね。今年は私も見に来ますよ』とおっしゃっていました。今ではどのくらいのファンが来てくれるかわかりませんが、他のファンの方も祭りを機にまた木更津に足を運んでほしいですね」(前出スタッフ)
木更津キャッツアイ

やっさいもっさい踊りの舞台。木更津駅西口の「富士見通り」

 20年前とは様変わりし、東京湾からの潮風が更地を吹き抜けるキャッツアイの聖地。地方都市の苦境を目の当たりにした気分だったが、木更津には特殊な背景がある。1997年の「アクアライン」の開通によって木更津地区の活性化が期待されたが、東京や横浜へのアクセスが改善されたことにより、逆に人が首都圏に流出したのだ。便利な交通が整備され、地方は活性化を期待するものの、逆に大都市圏へ経済が流出してしまうという、いわゆる「ストロー効果」のあおりを木更津はモロに受けたといわれているのだ。

時代とともに変容する地方都市の実態

木更津キャッツアイ

オジー像は今も木更津の街を見守っている…

 その象徴とされるのが「木更津キャッツアイ」でも登場する駅前百貨店「木更津そごう」。木更津そごうはキャッツアイ撮影中に撤退し、物語途中でも名称が変更されている。そのビルが冒頭の「スパークルシティ木更津」なのだが、市役所庁舎など公的なものを除けば、ほとんど店舗は入っていない。  アクアラインの通行料金の値下げや引越し者の増加、アウトレットモールなどの進出もあって、その後の木更津の経済状況は、回復傾向にあるそうだが、それすなわち、かつての商店街の賑わいが戻ることには繋がらないのだろう。  今回の聖地巡礼では、そうしたブームだけではなく、時代ともに変容する地方都市の姿が垣間見れた。しかし、いきなり押しかけた不躾な筆者にも快く当時の話をしてくれる木更津の人々の温かさは今も昔も変わってはいない。木更津の“キャッツ愛”が、しばらく消えることはないだろう。 ※この記事は日刊SPA!とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 <取材・文/江戸川正、日刊SPA!編集部>
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