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「買い物ができず不便」は的外れな感想…西武池袋本店のストは「注目すべき出来事」だった

西武池袋本店は「池袋の象徴」

西武池袋

西武池袋本店前での街頭活動を終えた後、そごう・西武労組の寺岡泰博委員長はカコミ取材に応じた(写真:小川裕夫)

高野区長の主張を要約すると、「西武池袋本店は池袋の象徴であり、その前は多くの人が行き交う。低層階は不特定多数の人が目にするから、街のイメージにも直結する。西武に入居するブランド店がヨドバシカメラに替わってしまったら、池袋の街全体にもさまざまな影響が出る」というものでした。 すでに西武鉄道と西武池袋は別会社になっています。そのため、高野区長が西武鉄道に嘆願書を提出しても意味がないようにも思えます。しかし、西武鉄道は西武池袋本店の土地・建物の所有権を一部ながら持っています。それを踏まえれば、西武鉄道社長に嘆願書を出すことは決して無意味ではありません。 いくら地元の豊島区でも、区長が民間企業の経済活動に対して介入することは許されるのでしょうか? そこは人によって受け止め方が異なるでしょうが、高野区長が訴えたかったのは自身が区長を務める豊島区、ひいては核となる池袋の都市計画に絡んだ話でした。

「池袋一筋の人生だった」高野区長

西武池袋本店がフォートレス&ヨドバシの手に渡ることと豊島区の都市計画には一体どんな関係があるのでしょうか? 高野区長は1937年豊島区生まれです。それから、ずっと池袋で育ち、大学も池袋駅西口にある立教大学を卒業しています。1983年には豊島区区議会議員選挙に出馬して初当選。1999年には豊島区長選に立候補して当選しています。それから当選を重ね区長6期務めて引退。花道を飾るというところで、フォートレス&ヨドバシ問題が浮上したのです。 高野区長の来歴をたどると、それこそ池袋一筋の人生だったことが伝わってきます。そんな池袋に強い思い入れを抱く高野区長が就任直後から目指してきたのが、池袋駅東口における「西武百貨店からグリーン大通りにかけての歩けるまちづくり」でした。 池袋駅東口のシンボルでもある西武百貨店(当時)から南東にストレートに延びるグリーン大通りを歩ける街にする――高野区長が描いた池袋の未来像は、池袋駅東口からLRT(=Light Rail Transit)を走らせるという話に発展していきました。
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「ビックカメラやヤマダデンキはあるのに」という主張は…
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フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。首相官邸で実施される首相会見にはフリーランスで唯一のカメラマンとしても参加し、官邸への出入りは10年超。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)などがある Twitter:@ogawahiro

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