吉田豪とASKAが7年ぶりの直接対面
1979年にチャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)として「ひとり咲き」でデビューし、今年芸能生活45周年。66歳を迎えたASKAの勢いが止まらない。コンサートツアーはもちろん、昨年はグラミー賞を16回受賞している世界的な音楽家・デイヴィッド・フォスターとも共演。私生活では幼少期から慣れ親しんだ剣道も復帰し、’23年の年齢別全国大会で優勝など、衰え知らずの活躍ぶりだ。
そんなASKAに、プロインタビュアー・吉田豪が7年ぶりに「CHAGE and ASKA」時代のツアージャンパーを着用してインタビューを行った。
ASKAは今、変わりゆく日本の現状に何を思うのか?プロインタビュアー・吉田豪が7年ぶりの真剣勝負に挑む!……かと思いきや話は秋元康をはじめとしたエンタメ界の大物たちとの因縁など四方八方に及び……。
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ASKA×吉田豪 対談
ASKAと吉田豪、7年ぶりの再会
ASKA:お久しぶり!
吉田:ご無沙汰してます! 直接お会いするのはAbemaの特番『逆指名インタビュー』(ASKAが自らインタビュアーを指名した‘17年10月放送の番組。選ばれたのは亀田興毅と吉田豪だった)以来、7年ぶりですね。
ASKA:あれからもう7年か。
吉田:あの番組、ASKAさんにとってもかなりの転機になっていると思います。亀田さんとの友人関係も、始まったわけですよね。
ASKA:そうそう、あの1日は大きかった。指名したきっかけは、僕がWEBかなんかで豪ちゃんの記事を見たんだっけ?
吉田:ボクがASKAさんについて話している記事ですね。もちろん、決していいことだけを書いてたわけではなくて。世間が叩いているときに、「でもASKAさんにはこういうおもしろいところもありますよ」というスタンスで語っていたものです。
ASKA:ぜんぜんいいよ、笑って読んでたんだから(笑)。
吉田:今日はそういう突っ込んだ話もできればと思っています。そして、亀田さんとの出会いによってASKAさんも43年ぶりに剣道の世界に復帰しましたね。
ASKA:剣道への復帰は人生のプラスになってる。あきらかに体幹が変わった。でも、一番変わったのは人間関係。この業界と同じくらいの数の剣道関係者の電話番号が僕の電話帳に記録されてる。
吉田:亀田さんと知り合ったことで、さらに世界が広がったと。
ASKA:そう。今、僕が積極的に配信ライブなどを行っている「Travel TV」という動画サイトがボクシング団体(注釈:LUSHBOMU)を持ってるんだけど、「興毅と一緒にやればいいじゃん」って話になってね。亀田興毅がボクサーだからこそどうしても越えられない伝統や礼儀の壁みたいなのがあるんだけど、「LUSHBOMU」はボクシング界でも改革を推進するニューウェーブの団体だから、興毅が進めようとしてる事に立ちはだかる壁のようなものが無くなった。もちろん、「LUSHBOMU」としても興毅の知名度というのは武器になるわけだしね。あの番組で初めて会って僕が「興毅」って呼んだとき、「ハイ!」って、そのときにもう関係できたでしょ。ああいうヤツなんですよ。でもいまは僕のほうがお世話になってます(笑)。
吉田:リングで一緒に『YAH YAH YAH』を歌ったりするまでになりましたからね。
ASKA:そうそうそう(笑)。
「Clubhouse」での秋元康、小室哲哉らとの邂逅
吉田:そんなASKAさんとボクの接点でいうと、‘21年2月に当時流行中の音声SNSアプリ「Clubhouse」で突然、話したという事件がありましたね。
ASKA:あった、あった(笑)
吉田:あのとき放送作家の佐久間宣行さん、秋元康さん、指原莉乃さん、ボクとかが話してたところに、ASKAさんが突然現れた。ボクが「ASKAさんが来てます!」って言ったら、佐久間さんは当時、乃木坂46に所属していた齋藤飛鳥さんと間違えてたみたいなんですけど(笑)。そこでASKAさんにも参加してもらったら、相当カオスに。ネットニュースにもなっちゃった、と。
ASKA:実は、「Clubhouse」自体をよくわかってなくて。あの頃、小室哲哉からも勧められてね。「じゃあ俺もインストールだけしとくよ」って言って。で、どんなもんだろう?ってやってみたら、秋元康が会話しているのが目に止まって、吉田豪ちゃんもいるわけじゃん。参加させてもらったけど、初めてだから参加の仕方が分からず、すごく慌てふためいたのを覚えてるな。あのあと、小室とも「Clubhouse」をやってみたんですよ。5000人以上集まって、即興で歌ったりもしたね。
吉田:あのとき個人的に感慨深かったのは、ASKAさんが秋元康さんとすごいフレンドリーに話していたことです。
ASKA:確かに(笑)。「コノヤロー秋元!」の時期があったからさ。フレンドリーな関係を伝えることができて本当にありがとうね。昔、彼のラジオ番組に出たときに印象が変わったんだ。「秋元康はすごいわ」と受け入れた。向こうはプロデューサーだから、こんなこと僕が言っちゃいけないんだけど、でも彼は物事をよくわかっている。「なるほど。理解しながらあえてやっているのか」って、そのときに認めた。今ではこっちも「あきもっちゃん」って呼ぶようになってね。
YAH YAH YAH「これからそいつを殴りに行こうか」の相手は秋元康だった
吉田:ASKAさんと秋元さんの間に溝ができた発端は、ふたつぐらいあったと思います。最近、古舘伊知郎さんがそのひとつのネタばらしをしていましたね。フジテレビの音楽番組『MJ-MUSIC JOURNAL』(1992-1994年)で構成担当の秋元さんが「チャゲアスは現代の演歌だ」という企画を流したという。
ASKA:あれは僕たちに対してもそうだけど、演歌の方々に対しても失礼だと思ったんだよ。もともとあの番組への出演をOKしたのはフジテレビの偉い方からお願いされて、「番組に穴が開いてしまったから、この穴を埋めるにはいまチャゲアスしかいないんだ!」と言われたから。でも、よくよく考えたらおかしいんだよな。穴が開くってどういうことよって。ああいう番組なら出たい人いくらでもいるわけでしょ。そもそも、穴が開いたっていうこと自体が罠だったんじゃないかって。「秋元コノヤロー」と思うよね(笑)。
吉田:古舘さん曰く、そのときASKAさんが相当怒ってたから、その翌年にリリースされた『YAH YAH YAH』の「傷つけられたら牙をむけ」「これからそいつを殴りに行こうか」という歌詞は秋元さんや番組に向けられたものだった、と。これは本当なんですか?
ASKA:ホントホント(笑)。でも、当初はそんなつもりの曲じゃなかったんだよ。『YAH YAH YAH』って言葉とサビだけは決まっていた。全員が手を振り上げているのが見えていて、そこに向かって書き直しているうちにテーマが見えてきた。そこに、ちょうど別件の打ち合わせで来ていた小田和正さんがレコーディング現場にフラッと来て。「言いたいことがしっかりあるのはいいことだな」って言って出てったのね。その楽曲やメッセージの内容がいい悪いじゃなくて、テーマがきちんとあることを小田さんは感じてくれたんだと思う。
吉田:ドラマ(三谷幸喜『振り返れば奴がいる』1993年)の主題歌になるようなポップソングで、なかなかこの歌詞はありえないですからね。
ASKA:ないよね(笑)。
(ASKA×吉田豪 対談1回目/
全4回)
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ASKA×吉田豪 対談
ASKA
CHAGE and ASKAのメンバーとして1979年にシングル「ひとり咲き」でデビュー。約300万枚のセールスを記録した「SAY YES」をはじめ、ヒットナンバーを数多く世の中に送り出す。1988年にアルバム「SCENE」でソロデビュー。1991年にリリースされた3rdシングル「はじまりはいつも雨」がミリオンヒットを記録し、ソロアーティストとしても地位を確立した。2017年には自主レーベル・DADAレーベルを立ち上げ、アルバム「Too many people」「Black&White」を発表。同年10月には配信サイト「Weare」を開設した。23年3月にデイヴィッド・フォスターとのコンサートを開催し、4月から8月にかけて全国ツアーも行った。
1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。主な著書に『男気万字固め』(幻冬舎)、『人間コク宝』シリーズ(コアマガジン)、『サブカル・スーパースター鬱伝』(徳間書店)、『書評の星座』(ホーム社)など