更新日:2025年04月16日 09:29
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包丁を持ち出す兄との喧嘩から始まった「名前のない病気」。“30年間引きこもり”の兄との記憶を漫画化した作家の覚悟

母の死後、父と長男の2人暮らしでゴミ屋敷に

当時を振り返る宮川さん

宮川さんは、30歳手前で働き出すが、当初は漫画は描いていなかった。32歳の時に、母が70歳で亡くなってからは、当時76歳の父と長男が実家に残された。母が亡くなる前後から、父はアルコールに依存しだした。 「父には『こんな時に酒を飲むなよ』と思うこともありましたが、今思えば色々と悩んでいたのでしょう。長男のことは、解決しなければいけない最大の課題だと考えていたと思います」 きれい好きだった母が亡くなってから、実家の庭は草がぼうぼうとなり、荒れるようになっていく。そんな父も80代で亡くなり、実家には長男だけが残された。掃除もされず、ゴミ屋敷になっていった。 「兄はひきこもりと言っても、買い物には行けるので、食事に困ることはありません。パンなど、主に調理が必要じゃないものを食べています。家賃もいらない、働いていた頃の貯金もある、両親の遺産の分与分で生活しています。毎月かかるお金は、次男が管理しています」 厚生労働省の「ひきこもりの定義」によると、ひきこもりとは「様々な要因の結果として社会的参加(就学、就労、家庭外での交遊など)を回避し、原則的には6か月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態を指す現象概念(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」平成22(2010)年5月より)」なので、長男の状態は正確にいうと「ニート」だ。 「よく作品を読んだ人から、そんな状態の兄を両親は病院に連れて行かなかったのかと聞かれます。両親は、努力はしていましたが、受診させるのが難しかったです。そのうちに、受診させることを諦めてしまった時期もあります」 精神疾患や精神障害者に対する受診は、本人が成人している場合、家族であれ難しい現状がある。

漫画家として「兄のことは描かなければ納得いかなかった」

33歳頃に漫画家としてデビューするが、主にストーリーのギャグ漫画を描いていた。そして35歳の時に、代表作となる『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社刊)を発表。母親を亡くした経験を描いたエッセイ漫画で、表紙には母の葬儀に臨む宮川家の葬列が描かれている。 「その表紙に、家族は描いても長男は描きませんでした。隠していることで胸が痛みました。大学生の頃から、長男のことはいつか何かで形にしないといけないと思っていたんです。両親が亡くなり止める人は誰もいなくなった今、漫画家として、描かないと納得できないと思いました」 母が生きていたら止めるだろうと思うが、「今なら説得できるだけのものはあります」と宮川さんは力強く言った。 34歳の時に、両親が亡くなったことで実家の近くに住む意味を失い、妻と上京したが「半分は逃げてきた」と振り返る宮川さんは、現在は3~4か月に1回、漫画の取材もかねて帰省している。 「ゴミ屋敷と化した実家に、肉親を一人残している罪悪感はあります。それに長男は元々、肺や心臓が弱く、体が強くありませんでした。年齢も61歳で、耳が遠くなっています。今は、人に危害を加えるような人ではないし、むしろ、僕の子どもたちにも優しいです。彼なりに兄貴を演じなければいけないという気持ちがあるんだと思います。お互いに年齢を重ねて、関係値も少しずつ変わり始めているので、それも含めて描いていければと思っています」 最後にどんな作品にしていきたいかを聞いた。 「兄をバケモノのようには描きたくないんです。例えばマジンガーZは勧善懲悪がハッキリしているけど、機動戦士ガンダムは『どっちの言い分もあるよね』という、リアリティを突きつけてくる作品ですよね。うちの長男も、人をイラっとさせることには天才的で、言われたくないことを突いてくるけど、一方では、なけなしの100円で、うちの子どもたちにおもちゃを用意してくれたりもする。そうした人間として立体的な、リアルな部分はしっかり描いていきたい。その上で、自分たちがいま現在進行形で経験している家族の問題…ニッチな生きづらさに共鳴してくれる読者がいるならば、それを物語として描くことで、この生き方への答えを出していけたらと思っています」 そう語る宮川さんの目には、漫画家としての強い覚悟が見えた。

「名前のない病気」1巻 著:宮川サトシ 定価:770円(税込) 発行:小学館 発売中

<取材・文/田口ゆう>
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立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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