「東芝の人は上から目線で偉そうだった」青梅事業所の閉鎖、歓楽街や下請けから嘆きの声…
まさかの2度目の決算発表延期を表明した東芝、3度目の延期も噂される。半導体事業の売却や大規模リストラなど容赦ない“解体”が進む同社だが、その影響は子会社や下請け・孫請け企業が集う、郊外の「企業城下町」にも及んでいた――
<東芝青梅事業所とは?>
従業員数――約1000人(2016年12月時点)
敷地面積――約12万平方メートル(東京ドーム2.5個分)
住所――――東京都青梅市末広町2-9
事業内容――国内12か所にある東芝の事業所のひとつ。’68年に設立され、ワープロの「ルポ」や、PCの「ダイナブック」シリーズの開発、生産を行ってきた。最盛期には4000人もの従業員が働いていた
「昔は17時の開店から翌朝5時まで客がひっきりなしに来たよ。部長クラスが部下を大勢引き連れてね。夜中から始まる宴会も珍しくなかったし、あの頃は儲かったなぁ」
新宿駅からJR中央線・青梅線を乗り継いで約1時間。青梅市と羽村市の市境近くに小作(おざく)という小さな駅がある。お世辞にも栄えているとは言えない東京都西部の片田舎だが、駅前で懐石料理屋を経営する50代の男性は当時の思い出をそうしみじみと語った。
そんな小作駅の周辺にはおよそ160軒の飲食店やキャバクラ、スナックが軒を連ねる。地元の女性住民は「昼と夜では別の街」と自嘲気味に笑うが、歓楽街が充実しているのには理由がある。なぜなら、ここには東芝のPC事業の製造拠点である青梅事業所があり、その子会社や下請け、孫請けが集まっている。まさに大企業に支えられた「企業城下町」なのだ。
ところが昨年12月20日、そんな城下町に激震が走る。いまだ約1000人が働く青梅事業所が3月末をもって閉鎖され、その土地が野村不動産に約100億円で売却されることが決まったのだ。
’68年の設立以来、およそ半世紀にわたって、電算機工場として’80年代に人気を誇ったワープロ「ルポ」や、ノートパソコン「ダイナブック」などの開発・製造拠点として栄えた東芝の青梅事業所。もともと市から誘致があったわけではなく、精密機器である電算機の開発に、自然が多く清潔な環境が必要だったという理由で建設は決まったという。しかし、一時は小作駅周辺だけで4社もの東芝子会社と数十の下請け企業がつくられるほど密接な関係を築いてきた。そんななかで告げられたのが、今回の事業所閉鎖だった。当然、地域社会に与える影響も少なくない。青梅市議会のある議員は「青梅事業所閉鎖は市にとっても、一大事だった」と語る。
「かつての東芝は、会社は地域に貢献することが大切という考えが強く、毎年、『青梅まつり』というイベントを開催するなどまさに地元に根づいた企業でした。撤退は税収面だけでなく、地域のコミュニティに与える影響も大きいと思います。ただ、私は市議会でこの件について2度ほど一般質問をしましたが、信じられないことに議会も東芝もゼロ回答。税収だけでなく今後の対応についても同様でした。この件についての情報開示もほとんどされず、あまりの変貌ぶりに残念な思いでいっぱいです」
昨夏まで青梅事業所の派遣社員だったという30代男性は第一報を聞いたときの心境をこう証言する。
「’15年12月に工場閉鎖の方針というニュースをテレビで見たのですが、何も聞かされていなかったのでとても驚きました。早期退職の募集や今後は配転できなくなることもそのときに知ったのです。当時、青梅事業所には約2500人の従業員がいましたが、怒った西多摩労働組合の人たちが閉鎖反対の横断幕を作って駅前で抗議ビラを配布していたのを覚えてます」
青梅事業所の閉鎖で歓楽街や下請けから嘆きの声が相次ぐ
「テレビのニュースで事業所閉鎖を知った」
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