ばくち打ち
第6章:振り向けば、ジャンケット(9)
「宮前さんたち三人のフロント・マネーは一人1500万円。うちでは平均クラスだろ。それを6回転させると、2億7000万円のローリングとなる。太い打ち手なら、一人で1億円はもってくる。これが何回転もする。うちみたいな『個人営業』の業者でもそうなんだから、『部屋持ち』たちが一か月で300億円相当とか500億円相当とかを『消化』するのは、それほど困難なことじゃないんだ。おまけにうちみたいに『部屋持ち』たちの口座を借用するサブ・ジャンケットも居て、ローリングは増える。それでも万が一『消化』額が不足したときは、業者間で融通し合うこともある」
良平はつづけた。
「まあ、うちは可能な限り多くの『部屋持ち』業者たちに顔を通しておきたい。頼まれたら、うちが多少苦しくても受ける。するとこちらが頼んだときには、無理をきいてくれる。中国でおこなうビジネスの基本は『信』なんだ。わたしがカネに詰まって身動きができなかったときには、彼らがずいぶんと手を差し伸べてくれた」
リーマン・ブラザーズ破綻に端を発した世界金融危機のころ、良平を助けてくれたのは、一般に「いかがわしい」と思われている香港のジャンケット業者たちだったのである。
「日本じゃ、中国人とのビジネスは気をつけろ、連中は約束を守らない、なんて言われていますけれど」
と優子。
「自分たちが約束を違(たが)えれば、連中も違えるさ。日本では、自分が過去に違約していることを棚に上げて、相手を非難する人たちが多くなってしまった。口約束でほとんどのことが決まるこの業界では、『信』の関係を築けるかどうかが、生き残れるか否かを決める」
「心に銘じておきます。うちみたいなサブ・ジャンケットと、大手のジャンケットとは、『持ちつ持たれつ』の関係なのですね」
「多くの場合、利害は相反するのに、ね」
「えっ、どうして利害は相反してしまうのでしょうか」
「『部屋持ち』は、ハウスと勝ち負け折半、と説明しただろ。つまり、客が負けてくれれば負けてくれるほど、取り分が多くなる。一方、わたしらのサブ・ジャンケットには、借りた口座から『ロール・オーヴァー(=ローリングの累計)』の一定割合が戻される。それがうちの収入だ」
「あっ、そうか。勝っている人の方が、当然にもローリングは進みますからね。極端な例では、100万HKDのドロップの人が一度回しただけで負け切ってしまえば、その『ロール・オーヴァー』は100万HKDにしかならないけれど、勝ったり負けたりしながら何回か回してくれれば、うちの会社のコミッションは増えるわけですから」
優子の飲み込みは早かった。
そこに宮前が現れ、二人の会話は中断した。
「どうも、お久し振りです」
都関良平は営業用のつくり笑いを向けた。
「半年ぶりくらいとなるのか。前回は手ひどくやられたから、今回はリヴェンジじゃよ。百戦錬磨の精鋭メンバーもつれてきた。こっちが小田山(おだやま)さん」
良平は40代後半の肥満した男に名刺を差し出した。名刺「交換」ではない。相手は良平の名刺を受け取るだけなのだから。
「そしてこっちが、俺の博奕(ばくち)の師匠の百田(ももた)さん」
還暦を迎えたばかりの年頃か。額が禿げ上がった博奕づらである。
ちょっと待て。良平に見覚えのある顔じゃなかったか。
「あんたは・・・」
客に対して失礼なのだろうが、思わずそんな言葉が良平の口から飛び出した。
(つづく)
第6章:振り向けば、ジャンケット(8)
「広東語はこれからだろうけれど、優子さんの北京語は、どれくらい通用しているの?」
大学で中国語を専攻したからといっても、中国語での意思疎通ではまったく使いものにならない日本の若い連中が多いことは、これまでの経験から良平もよく承知していた。
「なんとか通じていると思いますよ。だめなときには漢字を書く、という奥の手がありますから。ほんとうに漢字は東アジアの共通言語なんだ、と思いました」
優子が笑った。
言語習得能力におけるひとつの重要な要素は、「度胸」である。
優子は、この業界で使いものになるように育ってくれるのかもしれない。
天馬會のケイジにデパートの紙袋を載せ、300万HKD(約4500万円)分のノンネゴシアブル・チップを引き出した。
ケイジから出てきたのは、100万HKD(1500万円)の大型ビスケットが3枚のみ。良平は、ビスケット3枚と一緒に差し出された伝票にサインする。
このジャンケット・フロアで使用される「ノンネゴシアブル(=ベット用の)・チップ」は、少額・多額を問わず長方形や楕円形をしていて、これを業者間では「チップ」とは言わずに「ビスケット」と呼ぶ慣わしだ。
4500万円の大金が、たった3枚の大型ビスケットに形を変えた。
毎度のことながら、良平にとっては、やっぱり笑ってしまいそうなバイインの瞬間だった。
この1枚100万HKDのビスケットを渡された打ち手たちのは、勝負卓でそれをさらに少額のビスケットに換えて(カラー・ダウン)、博奕(ばくち)を打ち始めるのである。
「うちはよく口座を借りる『部屋持ち』業者を変えますよね。先週のお客さんのときには、『萬堂會』のケイジを使っていた。なんでなのですか。いつも同じ業者の方が、いろいろと融通が利くのじゃないか、と思うのですが」
「同じ業者のケイジを使っても、うちにとっては一向にかまわない。ただハウスとジャンケット業者の契約って、けっこう複雑だ。このハウスの『部屋持ち』業者たちには、一か月に何十億HKD分のノンネゴ(=ノンネゴシアブル・チップのこと)の消化が契約上義務づけられている」
「何十億HKD、って。1億HKDで15億円ですよ。その数十倍を一か月で消化する、って」
「『消化』とは、回した金額のことだ。つまり『ローリング』の総額が一か月で300億円とか500億円相当になればいい。ベットではノンネゴを使い、勝てばキャッシュ・チップで付けられる。そうすると勝負卓ではノンネゴの方が減っていき、キャッシュ・チップの方は打ち手の手元に増えていく。通常、VIPフロアじゃキャッシュ・チップでベットができない。それゆえ打ちつづけるつもりなら、手持ちのキャッシュ・チップでノンネゴを再購入する必要が生じるわけだ。その再購入のことを『ローリング』と呼ぶのは、もう学んだよね」
「ええ」
「『部屋持ち』たちは、ハウスとの契約で『ローリング』額が義務づけられることが多い」
「それが一か月で300億円分とか500億円分とかになるのですか?」
優子の眼がまん丸くなった。
「宮前さんたちの持ち込みは、3人で300万HKD(4500万円)だよ。当たり前なら、これが6回転くらいはするだろ?」
「そうですね。いままでで大きかったお客さんなら、42回転させた方もいらっしゃいましたから」
「勝っていれば、そういうことも起こる。宮前さんたちは、300万HKDで6回のローリングとしても、1800万HKDだ。日本円でいくらになる?」
「2億7000万円です」
「ご名算」
ジャンケット業者にはとっさの計算能力が必須だ。この点でも、優子は合格であろう。
(つづく)
第6章:振り向けば、ジャンケット(7)
「現金の申告はしてきたのかな」
日本出国の際には100万円から、マカオ入国の際には12万HKD(=180万円)から、カスタムでの申告が必要だった。
「日本出国の際は、いつものように無申告だったそうです。まず検査されないし、見つかっても、『次からお願いします』と言われるだけなんですって。マカオでは申告の必要なんかないだろう、って」
たしかにマカオでは、現金持ち込みに申告の義務はなかった。
おそらく北京政府の「反腐敗政策」の一環だったのだろうが、その規則がかわったのが、昨年(2017年)である。
それまでは、キャリーケースを人民元で満杯にした「田舎のおっさん・おばちゃん」風の者が、よくカジノに現れたものだ。おそらく開発で都市近郊の耕作権をデヴェロッパーに売っ払った農家の人たちだったのだろう、と良平は推察する。
昨年11月に規則が変わってからも、マカオでは、税関も慣れないゆえか、現金持ち込みの申告をしようとすると、かえって職員たちに面倒がれたりした。
「今回は、『天馬會』でいいのですね?」
優子が訊いた。
「他にしたいの」
「いえ、わたしはシステムがよく呑み込めていないので、社長が決めてください」
「社長じゃない、って」
「すいません。良平さんが決めてください」
都関良平は、マカオでの就労ヴィザの必要上、カジノを監督する澳門博彩監察協調局からジャンケット業者としてのライセンスを得ていた。
しかし「三宝商会」は、良平と優子二人だけの、実質的な「個人営業」のジャンケット業者である。カジノのフロアに自前のケイジ(会計部につながるキャッシャー)をもっているわけではなかった。
では、どうやって「ローリング」の管理や、コミッションの精算をおこなうのか?
簡単なのである。
ケイジをもつ大手ジャンケット業者の口座を借りるのだ。
マカオでは、このケイジをもつ大手ジャンケット業者のことを、通称「部屋持ち」と呼んでいる。
そして「部屋持ち」たちは、その名のとおり、普通は大手カジノでは専用の小部屋に分かれているのだが、このハウスの設定は独特で、「部屋持ち」業者数社が5Fの大部屋に同居していた。
マカオで大手カジノハウスと「部屋持ち」ジャンケット業者との契約は一律ではない。
その力関係によって、契約内容も変わった。
たとえば業界最大手の「太陽城集団」などは、「売り上げ」折半の契約(正確には、ハウス55%:業者45%)となることが多いのだが、必ずしもそれが他業者との契約におけるスタンダードとはならない。
カジノ業界での「売り上げ」とは、ドロップ(=バイイン)・マイナス・ペイアウト、つまり「粗利」を指す。
「じゃ、天馬會でいこう。今月はまだここを使っていないので、付き合いもあることだし」
良平が決めた。
「ありがたいです。天馬會にはジャッキーくんが居ます。マカオに着いたばかりで、右も左もわからなかった時、彼がいろいろと助けてくれました。親切なだけじゃなくて、北京語も上手だし」
優子が安堵の表情を見せる。
マカオには、広東語と北京語のバイリンガルな人たちが多い。
それだけではなくて、学校教育がしっかりしているからなのだろうが、若者たちが相手なら、英語でのコミュニケーションもできた。
(つづく)
第6章:振り向けば、ジャンケット(6)
ホテルのレセプションは、その最上階の38Fにあった。半島側、そしてコタイ・タイパの街並みが見降ろせる。 宿泊客は最上階でチェックインをおこない、階下の客室に案内された。 全室スイートで、どの部屋からも海を越して半島 […]
第6章:振り向けば、ジャンケット(5)
都関良平(とぜきりょうへい)が代表取締役社長を務める会社の名は、『三宝(サムポウ)商会』という。 マカオの商法に「一人有限公司」という制度があり、株主が一人だけでも、10万パタカ(約140万円)の資本金を当局に示せば […]
第6章:振り向けば、ジャンケット(4)
強い南風が吹いていた。 都関良平(とぜきりょうへい)は、そのホテルの30階にあるオフィスの大窓から、久しぶりにからりと晴れ上がった半島側を眺めている。 スモッグは吹き飛ばされたのか。 今日も外は暑そうだった。 […]
第6章:振り向けば、ジャンケット(3)
1999年11月、尹国駒はコロアン地区の路環監獄に収監された。同年12月20日、マカオの行政権は北京政府に返還される。 北京政府によって「行政特別区」に指定され「一国二制度」の行政システムとなったといえども、北京政府 […]
第6章:振り向けば、ジャンケット(2)
日本での山口組=本田会の代理戦争の様相を呈した「仁義なき戦い」広島戦争は、死者17名・負傷者26名を数えた大抗争だった。 しかし、『マカオ戦争』における死者・負傷者の数はそんなものでは済まなかった。この抗争での死者数 […]
第6章:振り向けば、ジャンケット(1)
20世紀末から21世紀初頭にかけて、地下社会で『マカオ戦争』と呼ばれるものがあった。 それが始まったのは、香港の行政権がイギリス政府によって北京政府に返還された1997年のころであり、マカオの行政権がポルトガル政府に […]
番外編その5:知られざるジャンケット(9)
さて次回からは、ジャンケットにかかわる「物語」を書き始める。わたしはこのテーマを、フィクションとして書くつもりである。 ノンフィクションとして書くと、危なっかしい部分、伏せなければならない部分が多くなりすぎて、読者に […]