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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

第5章:竜太、ふたたび(18)

 なんというか、画に描いたような「飛び込み自殺」だった。

 浮き賭金(だま)オールインのチップが発火して、竜太は一瞬で熱くなる。

 次手も1500ドルをプレイヤー側を示す白枠内に叩き付けた。

「俺のカネ、返せええっ!」

 前手で失ったのは、「浮き賭金」であるのだから、じつは他人様(ひとさま)のおカネなのだが、打ち手の心理としては、どうしてもそうとは思えないのである。

 俺のカネ。俺のカネ。

 それを奪いやがって。

 そのクー(=手)も6対7の俗にいう「チャーシュー」で、あっさりバンカー側の勝利だった。

 二手で27万円相当の損失。

 新宿歌舞伎町のロクデナシばくち打ちにとって、起こってはならないことである。

 そもそもそれまで歌舞伎町のアングラ・カジノで一手に1500ドル(13万5000円)なんて賭けたことがなかった。それなのに、連続してやられてしまった。

 竜太の頭は、煮崩れた。

 次のクーは、3000ドルのベットか。

 一挙に取り戻す。

 そのとき竜太の気合いを外すように、みゆきが席前に積まれた40枚の黒チップと8枚のピンクチップを、ディーラーに向かって押し出した。

「カラー・アップ、プリーズ」

「カラー・チェンジ」という言葉を竜太は教えた覚えがあるのだが、「カラー・アップ」なんて言葉を教えた覚えはなかった。

 だいたい竜太にとっても、初めて聞く言葉である。

 みゆきはクラウン・カジノのバカラ卓で、学習していた。それも、しっかりと。

 教える者と教えられる者の立場が、そのうちに逆転してしまうのかもしれない。

「こっちは『ゴリラ』よね。でもこっちは、なんて呼ぶの?」

 ディーラーから戻された5000ドル・チップ1枚と1000ドル・チップ3枚のうち、白色の5000ドル・チップを指して、みゆきが訊いた。

「それは、『バナナ』」

 真希からの受け売りかもしれないが、そこいらの知識では、まだ竜太の方が上である。

「『インサイド』に行くとしても、わたしはまずこれを換金してくる」

 とみゆき。

「そんな必要はない。VIPフロアでも、キャッシュ・チップは同じもののはずだ」

「いいの。元資の5000ドルはキャッシュとしてハンドバッグにしまい込んで、浮いている3000ドル分で『インサイド』では打つつもりなんだから」

 しっかりしている。

 しかしこの会話があったおかげで、竜太の煮崩れた頭がすこし冷えた。

 そう、3000ドルといえば、大金なのである。

 吉野家の牛丼なら675杯喰えた。

 一日2杯喰ったとしても、ほぼ1年間、竜太はひもじい想いをしなくてすむのだ。

 そして吉野家の牛丼の価格が頭の中に浮かんでしまったら、もう竜太は3000ドルのベットなど、行けなかった。

 怖い。

 そして懼(おそ)れを抱きつつ打つ博奕は、まず負けてしまうのである。

⇒続きはこちら 第5章:竜太、ふたたび(19)

第5章:竜太、ふたたび(17)

 ブロンドの長髪で、瞳は深いブルー。

 痩せているのに、ベージュのブラウスの胸の部分が、きゅんと尖っていた。

 まるで漫画に出てきそうな白人美女なのだが、紅がちょっと強めにひかれた唇は、竜太に悪魔のそれを連想させた。

 首からID入りのプラスティックをぶら下げていたので、ハウス側の人間か。

 美女が竜太になにかを話しかけた。

 新宿歌舞伎町のろくでなしばくち打ちは、自慢じゃないけど英語などまるでわからない。いや、日本語だって怪しいものだ。

 歌舞伎町語で話しやがれ。

「カードはもっているか、と訊いている」

 と、みゆきが助け舟を出した。

 この間、ディーラーは3人を眺めているだけで、勝負は中断している。

「VIPルームじゃあるまいし、ヒラ場で博奕(ばくち)を打つのに、そんなもの必要なのか?」

 と、竜太は質問を質問で返した。

 みゆきと美女の間で、会話が交わされる。

 みゆきの英語はたどたどしかったが、どうやら意思は疎通しているようだ。

 田舎の女子大を舐めてはいけない、と竜太は思った。

「インサイドでプレイしないか、ですって。また『インサイド』よ。間違いなくVIPフロアのことね。プレイしたかったらすぐにカードを発行するから、IDが必要なそうよ。どうする?」

 二人の張り取りは、サヴェ―ランスのカメラ(=通称“アイズ・イン・ザ・スカイ”)で追われていたのだ。

 そこからVIP部に連絡が入り、ホストが駆けつけた。

 その間、わずか20分。

 早業(はやわざ)である。

 大口の打ち手しかVIPカードをもてない、と考えている人たちも多いのだが、そんなことはない。

 メガ・カジノのヒラ場(=一般フロア)で、一手500ドル(4万5000円)・1000ドル(9万円)くらいで打っていれば、すぐにVIPホストが駆けつけてくる。

「その『インサイド』とやらのミニマムはいくらなんだ」

「100ドルのもあるそうで、この卓と変わらないんですって。『インサイド』では、飲み物・食べ物すべてフリーで、ホテルの部屋も用意する、って言ってた。話が美味しすぎるんじゃない」

 みゆきは知らないだろうが、竜太はたった2時間弱だったかもしれないが、すでにカジノのVIPルームを経験していた。

 そう、飲み物・喰い物全部無料で、王侯貴族の気分で博奕(ばくち)が打てる空間だった。

 もちろん、美味しい餌には喰らいつく。

 新宿歌舞伎町にたむろすろくでなしばくち打ちの習性だった。

 釣り上げられるからいけないのである。

 餌だけ頂戴して、頭陀(ずだ)る。

「じゃ、ガジってみるか」

「ガジるって?」

「アングラ・カジノの言葉だな。ハウスにただメシ・ただ酒をご馳走になって、おみやげに仲間とキャチボールでサビチ(=サーヴィス・チップのこと)を抜いて持ち帰る」

「言っていることがわからない」

「わからなくてもいいさ。ただしこの公認ハウスではサビチがつかないだろうから、せいぜいVIPルームで飲み食いしようや」

 VIPカードが届くのを待つあいだ、ディーラーによって11クーめのカードが開かれた。

 プレイヤー側が7。上等な持ち点だ。

 しかしバンカー側は三枚目で持ち点8となるカードを起こし、1500ドルはやはり「飛び込み自殺」となってしまった。

 竜太は、がっくりと首を折る。

⇒続きはこちら 第5章:竜太、ふたたび(18)

第5章:竜太、ふたたび(16)

 みゆきのモンキー(=500ドル・チップのこと)ベットでの快進撃が始まった。

 6目(もく)めも7目めも8目めも、プレイヤー側の楽勝である。

 シューの開始から、いきなりのL字ヅラ。

「L字ヅラ」というのは、ケーセン(=出目の記録)が下に突き当たり右に折れた状態を指す。英アルファベットの大文字「L」に見立てて、そう呼ばれる。

 竜太は、もう悔やむこと悔やむこと。

 頭の中を、後悔の濁流が荒れ狂っていた。

 しかし誰を恨むでもない。怖気づいた自分が悪かったのである。

「バカラって、面白いね」

 とみゆき。

 それはそうであろう。

 一手ごとに500AUD(4万5000円)の収入があるのだ。

 しかもディーラーがカードを開いていくミニバック(小バカラ)の卓だから、やたらと展開が速い。

 このバカラ卓に坐ってから、まだ20分も経っていなかっただろう。

 10目のPヅラになったとき、みゆきの席前には8枚のモンキー・チップが鎮座していた。8匹のモンキーの横には、40頭のタイガーが手つかずで置いてある。

「このツラ、ぜんぜん切れないね。プレイヤー側の持ち点は高くないのに、バンカー側が自滅する。どこまで行くんだろう」

 とみゆきのつぶやき。

「あるんだよな。15目、20目の大ヅラって」

 できない我慢をするのが博奕(ばくち)なのだが、もう竜太には我慢ができなかった。

 たとえ「飛び込み自殺」になろうとも、飛び込むしかない。

 だいたい教師役である自分が、生徒にバカにされているような気分だった。

「行くぞ。浮き玉オールインだ」

 竜太は気合いをこめて言うと、15枚のブラック・チップをプレイヤー枠に叩きつけた。

「なんだか、いやな予感がする」

 とみゆき。

 それはないだろう。

 連れが勝負を仕掛けた手では、たとえそう思っても、言ってはいけない。

 なぜなら、言われた方が不安を抱いてしまうからだった。

 案の定、竜太の胸中に不安が生まれる。

 でも、もうベットを引くわけにはいかなかった。

 竜太は教師である。みゆきは生徒。

「わたしはお休み」

 そう言うと、みゆきがサル1匹をボックスから引き揚げた。

「性格悪いなあ。応援ベットくらいしろよ」

 とは、竜太のつぶやき。

「500ドルって、大金だもの」

 とみゆき。

 竜太の胸の中で、不安はもくもくと育っていった。

 心臓は、どんどこどんどこ。

 みゆきと同様に、竜太の頭蓋内部に「いやな予感」が広がった。

 や、や、やばい。

 その時、誰かが軽く竜太の背中を叩いた。

 自殺かどうかは不明ながら、竜太はすでに「飛び込み」を図っていた。

 尻がシートから浮き上がるほど驚く。

「なんだ、なんだよ」

 振り向くと、20代の金髪美女が微笑んでいた。

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第5章:竜太、ふたたび(15)

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第5章:竜太、ふたたび(14)

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第5章:竜太、ふたたび(13)

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第5章:竜太、ふたたび(12)

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第5章:竜太、ふたたび(11)

第5章:竜太、ふたたび(11)  痩せているみゆきの乳房は、竜太が想像していたとおり小さかった。  肋骨の浮いた胸に、打撲でちょっと腫れあがったくらいの盛り上がりがあるだけだ。  その盛り上がりの中心部に、直系3センチく […]

第5章:竜太、ふたたび(10)

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第5章:竜太、ふたたび(9)

「フリーウエイの速度制限は、110キロよ。10キロ・オーヴァーまではセーフだそうだから、120キロ以上は出さないで」  すこし怯えた声で、みゆきが言った。 「ロジャー」  竜太は応える。  この片側3車線、時として4車線 […]

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