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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(22)

 第三クーもプレイヤー側の勝利で、3目(もく)ヅラまで伸びた。

 バンカー・ベットだった優子は1万ドルを失ったのだが、むしろそれを喜んでいるかのようだ。

 そう、博奕(ばくち)は勝つことだけを追っていてはいけない。

 負けることも、計算の上だ。

 いつ、どう、負けるかが、賭人の器量なのである。

 3目めをプレイヤー・ベットで的中させた打ち手たちが、第四クーではツラ狙いで、量こそ異なれど厚めに行った。

 優子は構わず、ミニマム1万ドルのバンカー・ベット。

 ここでツラが途切れる。

 第五クーからは、横に走ったり縦に3目ひっついたり。

 難解なケーセンが出現した。

 じりじりと削られていた二番ボックスと三番ボックスが、残りシュー三分の一あたりでオール・インを仕掛けて、飛んでいく。

 俗に、

「トビの高張り」

 と呼ばれるやつだ。

 優子は、ずう~っとミニマム・ベットの張りを繰り返していた。

 ベットをするサイドを選んでいる様子もない。

 この際優子にはミニマム・ベットでの勝ち負けは、どうでもよかった。

 仕掛けない。

 差が約200万ドル分の先行独走状態で、後続馬が追いつくのを待っていた。

 そして後続馬たちは、追いつこうとしてもがき苦しみ、自滅していく。

 26クー目で、五番ボックスの小田山も飛んだ。

「シゴトを入れられた」

 と吐き捨てて、小田山が決勝テーブルの席を立つ。

 大会卓以外で、小田山は大勝していたのに。

 ――勝てば実力、負ければイカサマ。

 のクチなのか。

 幸せな人だ、と良平は思う。

 もっとも日本には、この種の幸せな打ち手たちが多かった。

 優子以外で残るは、一番ボックスの百田と四番ボックスの山段。両者とも「行って来い」の展開が多くて、ぎりぎり原点維持といったところだ。

 一方優子は、第四クー以降異様なほどに的中せず、280万ドル前後の手持ちとなった。

 やはり、負けてもよかったのである。

 問題は、その負け方だ。

 残り4クー目で「口切り」ベットの義務は、優子に移動した。

 優子は涼しい顔で、ミニマム1万ドルのベットを繰り返す。

 落としてもいい。

 追いすがる後続馬がもし脚を使って迫ってきたら、そこで溜めていた力を開放する。

 必殺のひと鞭を加えれば、勝負あり。

 そういう展開と読んでいるのであろう。

 一番ボックスの百田も、まだ動かなかった。

 ところが、ベット順で最後となった四番ボックスの山段が、ここで動く。

 50万ドルのプレイヤー張り。

 これで山段の席前に積まれた残りのチップは、47万ドルとなった。

 中途半端な仕掛けだ。

 ここで飛びたくはない、という打ち手側の心理はわかる。

 しかし、大会テーブルでの中途半端な仕掛けは、往々にして事故を招いた。

 百田の頬肉がぴくりと痙攣する。

 このクーを的中されれば、山段との差が100万ドル前後となってしまう。

 三位では意味がない。ドンケツと一緒だ。

 ディーラーの掌がシュー・ボックスに伸びた。

 もう変更はきかない。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(23)

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(21)

 まだ第二クーにもかかわらず、優子は決めに行ったのだ。

「またかよ」

 三番ボックスの才川が、吐き捨てるように言った。

 これにも優子は、薄い作り笑いで応える。

 一番ボックスにベットの順が戻り、百田がすこし考えていた。

 六番ボックスに付き添うべきか、否か。難しいところなのだろう。

 ここで優子にまた勝利されてしまえば、トップとの差が約200万ドルとなってしまう。

 競馬でいえば、ゲートが開き150メートル先の第一コーナーを曲がるまでに、しかも先行馬はまだひと鞭もくれていないのに、すでに20馬身以上の差がついた、といったところか。

 しかし、百田は動かなかった。

 いや、行けなかったのだろう。

 第二クーにおける百田のベットは、バンカー・サイドにミニマムの1万ドルだった。

 誰も、最初の「トビ」にはなりたくない。

 最初でも四番目でも、結果は同じなのだが。

 ディーラーが、

「ノー・モア・ベッツ」

 と言ってから、第二クーのカードを開いてみれば、プレイヤー側がコン(=絵札)にセイピンのガオ(=9)がひっつき、「ナチュラル・ナイン」である。

「アイヤアァ~ッ」

 と再びの叫び声。

 カジノでは、「アイヤアァ」がやたらと多いのである。

 バンカー側は、第一クーとは異なるカードだったが、モーピンの3にリャンピンの4で都合7という上等な持ち点を起こしながらも、沈没した。

 ――Seven never wins.

 のケースが二手連続している。

「ふう~っ」

 という大きな安堵の吐息が、優子の口から漏れた。

 優子のベットに、また10枚の10万ドル・チップがつけられる。

 同席の打ち手たちから、だいたい200万ドル分の単騎先行状態である。盤石の位置とはいえないまでも、以降の展開はおそろしく有利となるはずだ。

「ネクスト・ベッツ、プリーズ」

 とディーラーの少女が、第三クーへのベットを促した。

「口切り」は三番ボックスの才川に移動している。

 すこし考えてから、才川が10万ドル分のチップを、プレイヤーを示す枠に置いた。

 四番ボックスも五番ボックスも、10万ドルのプレイヤー・サイドへのベットである。

 もう動かないと、追いつけなくなってしまう。

 そう考えたのだろうか。

 そしてプレイヤーの3目(もく)ヅラを狙っていた。

 さて、六番ボックス・優子のベットの番だ。

 サイドは不明だが、もう一本マックス・100万ドルで行くのだろう、と良平は予想した。

 負けても他の打ち手たちとは100万ドルの差で、先行を保てる。

 勝ったりしたら、300万ドル分のカマシ独走状態で、圧倒的優位を築けるのだ。

 優子はしばらく考えていた。

 逡巡を振り切った顔で、ミニマムの1万ドルをバンカー・サイドに賭ける。

 そして同席の者たちに、涼しく笑いかけた。

 ――さあ、あなたがたは勝手に自滅してくださいな。

 とでも言っているかように。

 優勝賞金8000万HKD(1億2000万円)を狙っている人間の顔ではなかった。

 優子の表情が、オフィスで事務処理をしているそれに戻っている。

 ――「賭神」か?

 良平は自分の眼を疑った。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(22)

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(20)

 たとえプレイヤー側にベットしている者がこの手を負けようとも、失うのは1万HKDのみ。その代償に、優子が飛んで、敵は一人減る。

 だから、バンカー。どうしても、バンカー。

 同席者たちは、プレイヤー側に賭けていようとも、そう願うのである。

 ディーラーの掌が、シュー・ボックスに伸びた。

 プレイヤー側三枚目のカードを引き抜く。

 突然の静寂が、バカラ卓をおおった。

 誰もの視線が、ディーラーの指先のみに集中する。

 バカラ大会決勝テーブルを、じりじりと焦げつくような緊張が包んだ。

「ハン」

 と言ってから、ディーラーがプレイヤー側三枚目のカードを、シュー・ボックスから抜き出した。

 二本の指先で、くるりとひっくり返す。

 開かれたカードがその素性を現すと、

「アイヤーッ」

 の大合唱。

 優子を除く決勝進出メンバーのすべてが恐れていたように、そのカードは「サンピン負けなし(=1プラス6か7か8の状態)」である。

 おまけにサンピンのカードの中央上部に点がひとつくっ付き、7。

 1プラス7で、プレイヤー側の最終持ち点は、8となった。打ち手たちが恐れていたごとく、綺麗な捲(ま)くりが決まっていた。

 プレイヤー側・バンカー側にかかわらず、持ち点の7には三枚目のカードの権利はないので、そのままスタンズ(=stands)。

 やはり、Seven never wins.で勝負がついた。

「プレイヤー・ウオン。エイト・オーヴァー・セヴン」

 と無感情に英語で結果を読み上げると、ディーラーはバンカー枠に置かれたチップに掌を伸ばし、フロートに収めていった。

 そして、プレイヤー枠に、ベットと同額の配当が付けられる。

 優子の六番ボックスには、勝ち分の10万ドル・チップ10枚が置かれた。

 蒼ざめていた優子の頬に、ささやかながら血の気が戻っている。

「大会の決勝テーブルで、初手からオール・インなんて、バッカじゃなかろか」

 と一番ボックスの百田が憎々し気に言った。

「負けたら、そうですね」

 相手は客だ。差し障りが生じないように、優子が小声で応える。

 声が震えていた。

 声だけではなくて、短めのスカートから露わになっている膝も震えていた。

 配当が終わり、

「ネクスト・ベッツ、プリーズ」

 と、ディーラーの少女が次のベットを促した。

 まだ第二クーである。

 賭ける参考となる(はずの)ケーセンは、できあがっていない。

 二番ボックスが、「口切り」の責任を負っていた。

 大阪の釜本は、表情を変えずにミニマムの1万HKDでプレイヤー・サイドにベットした。まだ気合いを込める場面ではない。

 サイドは異なれど、三番・四番・五番ボックスと、二番ボックスにつづきミニマム額のベットが置かれていく。

 さて、六番ボックスの優子の番だ。

 今度はそれほどの躊躇も見せず、優子はプレイヤーを指定する枠に、10万ドル・チップ10枚をどかんと載せた。

 再びのマックス・ベット。

「ひゃっ!」

 の声が、五番ボックスの小田山から挙がった。

 他の同席者たちは、大きく息を呑んだ。

 先ほどとは対照的に、優子の顔が紅潮している。

 こめかみに浮かんだ血管が、優子の早鐘のような心拍を示した。

 彼女は、ここが勝負手、と判断したのだろう。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(21)

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(19)

「おおっ!」 「わっああ!」  とか、 「行ったあああっ」 「ぎゃっ!」 「ふひゃっ!」  と異なる叫び声が、同席者5人のすべての口から同時多発的に発せられた。  打ち手たちの背後で、決勝戦を監視・監督・審判も兼ねる良平 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(18)

 午後7時の決勝戦開始時間が迫り、良平が携帯で呼び出しを掛けようと思ったその時に、優子がフロアに現れた。  鏡を見る時間もなく、ソファの上で目覚めるとそのまま下に降りてきたのだろうか。優子の髪は乱れたままだ。 「間に合っ […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(17)

 決勝戦の開始まで、1時間ほどあった。  良平がオフィスに戻ると、優子がiPadを操作しながら、サンドウイッチを頬張っている。  大会参加者たちから依頼された案件が、どうやらまだ片付いていないようだ。  優勝賞金は800 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(16)

 28クーめでは順に、一番ボックスの小田山が、30万ドルのプレイヤー・ベット。  五番ボックスの北海道の打ち手と2番手に着けた六番ボックスの広告屋が、共に20万ドルのバンカー・ベット。  まだ、お互いに出方を窺っている状 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(15)

 良平のスピーチが終わるとすぐに、予選が開始された。  優子が坐るA卓では、初手は全員がミニマムの1万HKDベット。  トーナメントでは、だいたいそんなものだ。  サイドは分かれていた。  三番ボックスの優子はバンカー側 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(14)

 大会用のテーブルの設定は、部屋持ちジャンケットの『天馬會』にまかせてあった。  連中は慣れている。 『三宝商会』がおこなう、出場権1500万円・参加者12名限定・優勝賞金1億2000万円、などとは桁違いのバカラ大会を、 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(13)

 バカラ大会は、予選が土曜日午後5時、決勝が同日7時開始の予定だった。  当日到着の参加者もあり、そういう中途半端な開始時間となる。  優子にとっては、すこしハードなスケジュールとなってしまった。  日本からは午前5時香 […]

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