ばくち打ち
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(22)
第三クーもプレイヤー側の勝利で、3目(もく)ヅラまで伸びた。
バンカー・ベットだった優子は1万ドルを失ったのだが、むしろそれを喜んでいるかのようだ。
そう、博奕(ばくち)は勝つことだけを追っていてはいけない。
負けることも、計算の上だ。
いつ、どう、負けるかが、賭人の器量なのである。
3目めをプレイヤー・ベットで的中させた打ち手たちが、第四クーではツラ狙いで、量こそ異なれど厚めに行った。
優子は構わず、ミニマム1万ドルのバンカー・ベット。
ここでツラが途切れる。
第五クーからは、横に走ったり縦に3目ひっついたり。
難解なケーセンが出現した。
じりじりと削られていた二番ボックスと三番ボックスが、残りシュー三分の一あたりでオール・インを仕掛けて、飛んでいく。
俗に、
「トビの高張り」
と呼ばれるやつだ。
優子は、ずう~っとミニマム・ベットの張りを繰り返していた。
ベットをするサイドを選んでいる様子もない。
この際優子にはミニマム・ベットでの勝ち負けは、どうでもよかった。
仕掛けない。
差が約200万ドル分の先行独走状態で、後続馬が追いつくのを待っていた。
そして後続馬たちは、追いつこうとしてもがき苦しみ、自滅していく。
26クー目で、五番ボックスの小田山も飛んだ。
「シゴトを入れられた」
と吐き捨てて、小田山が決勝テーブルの席を立つ。
大会卓以外で、小田山は大勝していたのに。
――勝てば実力、負ければイカサマ。
のクチなのか。
幸せな人だ、と良平は思う。
もっとも日本には、この種の幸せな打ち手たちが多かった。
優子以外で残るは、一番ボックスの百田と四番ボックスの山段。両者とも「行って来い」の展開が多くて、ぎりぎり原点維持といったところだ。
一方優子は、第四クー以降異様なほどに的中せず、280万ドル前後の手持ちとなった。
やはり、負けてもよかったのである。
問題は、その負け方だ。
残り4クー目で「口切り」ベットの義務は、優子に移動した。
優子は涼しい顔で、ミニマム1万ドルのベットを繰り返す。
落としてもいい。
追いすがる後続馬がもし脚を使って迫ってきたら、そこで溜めていた力を開放する。
必殺のひと鞭を加えれば、勝負あり。
そういう展開と読んでいるのであろう。
一番ボックスの百田も、まだ動かなかった。
ところが、ベット順で最後となった四番ボックスの山段が、ここで動く。
50万ドルのプレイヤー張り。
これで山段の席前に積まれた残りのチップは、47万ドルとなった。
中途半端な仕掛けだ。
ここで飛びたくはない、という打ち手側の心理はわかる。
しかし、大会テーブルでの中途半端な仕掛けは、往々にして事故を招いた。
百田の頬肉がぴくりと痙攣する。
このクーを的中されれば、山段との差が100万ドル前後となってしまう。
三位では意味がない。ドンケツと一緒だ。
ディーラーの掌がシュー・ボックスに伸びた。
もう変更はきかない。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(21)
まだ第二クーにもかかわらず、優子は決めに行ったのだ。
「またかよ」
三番ボックスの才川が、吐き捨てるように言った。
これにも優子は、薄い作り笑いで応える。
一番ボックスにベットの順が戻り、百田がすこし考えていた。
六番ボックスに付き添うべきか、否か。難しいところなのだろう。
ここで優子にまた勝利されてしまえば、トップとの差が約200万ドルとなってしまう。
競馬でいえば、ゲートが開き150メートル先の第一コーナーを曲がるまでに、しかも先行馬はまだひと鞭もくれていないのに、すでに20馬身以上の差がついた、といったところか。
しかし、百田は動かなかった。
いや、行けなかったのだろう。
第二クーにおける百田のベットは、バンカー・サイドにミニマムの1万ドルだった。
誰も、最初の「トビ」にはなりたくない。
最初でも四番目でも、結果は同じなのだが。
ディーラーが、
「ノー・モア・ベッツ」
と言ってから、第二クーのカードを開いてみれば、プレイヤー側がコン(=絵札)にセイピンのガオ(=9)がひっつき、「ナチュラル・ナイン」である。
「アイヤアァ~ッ」
と再びの叫び声。
カジノでは、「アイヤアァ」がやたらと多いのである。
バンカー側は、第一クーとは異なるカードだったが、モーピンの3にリャンピンの4で都合7という上等な持ち点を起こしながらも、沈没した。
――Seven never wins.
のケースが二手連続している。
「ふう~っ」
という大きな安堵の吐息が、優子の口から漏れた。
優子のベットに、また10枚の10万ドル・チップがつけられる。
同席の打ち手たちから、だいたい200万ドル分の単騎先行状態である。盤石の位置とはいえないまでも、以降の展開はおそろしく有利となるはずだ。
「ネクスト・ベッツ、プリーズ」
とディーラーの少女が、第三クーへのベットを促した。
「口切り」は三番ボックスの才川に移動している。
すこし考えてから、才川が10万ドル分のチップを、プレイヤーを示す枠に置いた。
四番ボックスも五番ボックスも、10万ドルのプレイヤー・サイドへのベットである。
もう動かないと、追いつけなくなってしまう。
そう考えたのだろうか。
そしてプレイヤーの3目(もく)ヅラを狙っていた。
さて、六番ボックス・優子のベットの番だ。
サイドは不明だが、もう一本マックス・100万ドルで行くのだろう、と良平は予想した。
負けても他の打ち手たちとは100万ドルの差で、先行を保てる。
勝ったりしたら、300万ドル分のカマシ独走状態で、圧倒的優位を築けるのだ。
優子はしばらく考えていた。
逡巡を振り切った顔で、ミニマムの1万ドルをバンカー・サイドに賭ける。
そして同席の者たちに、涼しく笑いかけた。
――さあ、あなたがたは勝手に自滅してくださいな。
とでも言っているかように。
優勝賞金8000万HKD(1億2000万円)を狙っている人間の顔ではなかった。
優子の表情が、オフィスで事務処理をしているそれに戻っている。
――「賭神」か?
良平は自分の眼を疑った。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(20)
たとえプレイヤー側にベットしている者がこの手を負けようとも、失うのは1万HKDのみ。その代償に、優子が飛んで、敵は一人減る。
だから、バンカー。どうしても、バンカー。
同席者たちは、プレイヤー側に賭けていようとも、そう願うのである。
ディーラーの掌が、シュー・ボックスに伸びた。
プレイヤー側三枚目のカードを引き抜く。
突然の静寂が、バカラ卓をおおった。
誰もの視線が、ディーラーの指先のみに集中する。
バカラ大会決勝テーブルを、じりじりと焦げつくような緊張が包んだ。
「ハン」
と言ってから、ディーラーがプレイヤー側三枚目のカードを、シュー・ボックスから抜き出した。
二本の指先で、くるりとひっくり返す。
開かれたカードがその素性を現すと、
「アイヤーッ」
の大合唱。
優子を除く決勝進出メンバーのすべてが恐れていたように、そのカードは「サンピン負けなし(=1プラス6か7か8の状態)」である。
おまけにサンピンのカードの中央上部に点がひとつくっ付き、7。
1プラス7で、プレイヤー側の最終持ち点は、8となった。打ち手たちが恐れていたごとく、綺麗な捲(ま)くりが決まっていた。
プレイヤー側・バンカー側にかかわらず、持ち点の7には三枚目のカードの権利はないので、そのままスタンズ(=stands)。
やはり、Seven never wins.で勝負がついた。
「プレイヤー・ウオン。エイト・オーヴァー・セヴン」
と無感情に英語で結果を読み上げると、ディーラーはバンカー枠に置かれたチップに掌を伸ばし、フロートに収めていった。
そして、プレイヤー枠に、ベットと同額の配当が付けられる。
優子の六番ボックスには、勝ち分の10万ドル・チップ10枚が置かれた。
蒼ざめていた優子の頬に、ささやかながら血の気が戻っている。
「大会の決勝テーブルで、初手からオール・インなんて、バッカじゃなかろか」
と一番ボックスの百田が憎々し気に言った。
「負けたら、そうですね」
相手は客だ。差し障りが生じないように、優子が小声で応える。
声が震えていた。
声だけではなくて、短めのスカートから露わになっている膝も震えていた。
配当が終わり、
「ネクスト・ベッツ、プリーズ」
と、ディーラーの少女が次のベットを促した。
まだ第二クーである。
賭ける参考となる(はずの)ケーセンは、できあがっていない。
二番ボックスが、「口切り」の責任を負っていた。
大阪の釜本は、表情を変えずにミニマムの1万HKDでプレイヤー・サイドにベットした。まだ気合いを込める場面ではない。
サイドは異なれど、三番・四番・五番ボックスと、二番ボックスにつづきミニマム額のベットが置かれていく。
さて、六番ボックスの優子の番だ。
今度はそれほどの躊躇も見せず、優子はプレイヤーを指定する枠に、10万ドル・チップ10枚をどかんと載せた。
再びのマックス・ベット。
「ひゃっ!」
の声が、五番ボックスの小田山から挙がった。
他の同席者たちは、大きく息を呑んだ。
先ほどとは対照的に、優子の顔が紅潮している。
こめかみに浮かんだ血管が、優子の早鐘のような心拍を示した。
彼女は、ここが勝負手、と判断したのだろう。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(19)
「おおっ!」 「わっああ!」 とか、 「行ったあああっ」 「ぎゃっ!」 「ふひゃっ!」 と異なる叫び声が、同席者5人のすべての口から同時多発的に発せられた。 打ち手たちの背後で、決勝戦を監視・監督・審判も兼ねる良平 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(18)
午後7時の決勝戦開始時間が迫り、良平が携帯で呼び出しを掛けようと思ったその時に、優子がフロアに現れた。 鏡を見る時間もなく、ソファの上で目覚めるとそのまま下に降りてきたのだろうか。優子の髪は乱れたままだ。 「間に合っ […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(17)
決勝戦の開始まで、1時間ほどあった。 良平がオフィスに戻ると、優子がiPadを操作しながら、サンドウイッチを頬張っている。 大会参加者たちから依頼された案件が、どうやらまだ片付いていないようだ。 優勝賞金は800 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(16)
28クーめでは順に、一番ボックスの小田山が、30万ドルのプレイヤー・ベット。 五番ボックスの北海道の打ち手と2番手に着けた六番ボックスの広告屋が、共に20万ドルのバンカー・ベット。 まだ、お互いに出方を窺っている状 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(15)
良平のスピーチが終わるとすぐに、予選が開始された。 優子が坐るA卓では、初手は全員がミニマムの1万HKDベット。 トーナメントでは、だいたいそんなものだ。 サイドは分かれていた。 三番ボックスの優子はバンカー側 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(14)
大会用のテーブルの設定は、部屋持ちジャンケットの『天馬會』にまかせてあった。 連中は慣れている。 『三宝商会』がおこなう、出場権1500万円・参加者12名限定・優勝賞金1億2000万円、などとは桁違いのバカラ大会を、 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(13)
バカラ大会は、予選が土曜日午後5時、決勝が同日7時開始の予定だった。 当日到着の参加者もあり、そういう中途半端な開始時間となる。 優子にとっては、すこしハードなスケジュールとなってしまった。 日本からは午前5時香 […]