ばくち打ち
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(12)
本当は、優子に欲を出してほしくなかった。
なぜなら、欲を出すと判断に負荷がかかる。
判断に負荷がかかれば、サイドを誤るケースが多くなった。
無欲自在が博奕では一番なのだが、そもそも無欲であるなら博奕など打たないだろう。
しかも6000万円の取り分となるなら、大金持ちならまた別だろうが、20代半ばの女性が無欲というわけにもいくまい。
博奕街道は、メビウスの輪。交差することなく、同じ道をぐるぐると回りつづける。
* * *
『三宝商会』主催のバカラ大会の前日金曜日の午後から、参加者たちは集まってきた。
広告屋の宮前と小田山、一応広告屋の看板は掲げているが本業は金貸しだろう百田。この大会の言い出しっぺだった釜本に、個人営業ジャンケットの札幌の五島が自分の客を一人連れている。五島も打ち手として登録してあった。
あとは、首都圏と九州から3人ずつ。
小田山と百田を除けば、良平のテーブルに坐る頻度の差はあっても、全員が常連と呼んでもいい客たちだった。
だいたい一回の滞在に100万HKD(1500万円)を持ち込む客層である。
今回は大会参加費があることだから、その倍くらいの持ち込みであろう。
これに優子を加えれば、6人掛け二卓が埋まった。
「どうだね、ローリングの方は?」
5Fのジャンケット・フロアに降りて、都関良平は優子に訊いた。
「よく回ってるみたいですね。合わせればすでに2000万HKD(3億円)のアクション(=ローリング)があります」
フロアに隅に置かれたソファで、iPadを操作しながら、優子が答えた。
10メートルほど離れたテーブルから、日本のバカラ屋で使われる用語が聞こえてくる。
――優しくね、優しく。
――またナミちゃん(7対3のこと)だよ。
――ノーサイド(モーピンのこと)なのに、こんなところで毛じらみ(スペードのエースのこと)か。
――ショーショー(少々)。
正確には「シューシュー」なのだが、広東語バカラ用語の真似をしているつもりなのだろう。
夜はまだ始まったばかりだ。
この調子で回してくれれば、優子の大会参加費を負担しても、充分商売になりそうである。
「誰がいいんだね?」
と良平。
「不思議なことに、小田山さんなのです。もうバイインの3倍以上いっています」
と優子。
「博奕に不思議がありますか」
と、良平が苦笑いした。
「そういえば、そうです。でも前回の滞在では、このハウスのテーブルには『ゴト(=いかさま)』が入っている、と言ってお部屋に引き籠っちゃった人ですよ」
つられて優子も笑った。
「じゃ、自分が考えるのと逆のサイドを張っていて、それがばんばん的中してるんじゃないの」
そういう戦法もあった。
しかし、運から見放されているときは、それすら当たらない。
順で駄目、逆でスカ。
なにを試みても、裏目となる。
落ち目の博奕って、そういうものだった。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(11)
もっとも前年末に成立した法令によって、本年(2019年)末から、ジャンケット関係者を含むカジノ職員は、勤務時間以外にゲーミング・フロアに入ることが禁止されていた。
マカオのカジノ関連法令の実施には、澳門博彩監察協調局(DICJ)の厳しい監視が必ずつく。
したがってジャンケット業者が、「ミイラ取りがミイラになる」罠に落ちようとしても、今年末からは落ちられなくなってしまうのだが。
「初めてのバカラ体験で勝ったのは、16万HKD(240万円)弱ですよ。いただいているお給料がいくらよくても、わたしには100万HKD(1500万円)なんて大会参加費は、とても捻出できません」
と優子。
「もちろんそんなことを要求しないさ。どうせキャンセルの穴を埋めなければならないのだから、参加費用は会社の負担となる。優子さんは、びた一文出す必要はない。難しいだろうけれど、その費用回収の可能性だけは残しておきたいんだ。博奕は参加しなければ、負けることも勝つこともない。だけど今度のバカラ大会では、なにもしなければ負ける、というケースだろ。それなら取り戻すチャンスだけはキープしておきたい」
と良平。
「なるほど。それならば、気はラクですね。でもなんで良平さんじゃなくて、わたしが?」
「それは優子さんがまだ一回しかバカラをやったことがないからだ」
優子の頬に疑問符が浮かんだよう、良平は感じた。
ここは説明が必要だろう。
「知れば知るほど、負けるもの。これがわたしのカジノ・ゲームに関した体験的理解なんだ。もちろんゲームのルールはよく知らなくてはならない。ゲームにおける確率論も十全にわかっていなければならない。それでも、打ち手たちは勝てない。初心者はどうあれ、中級者や上級者はみな負ける。通い詰めるヴェテランともなれば、もっと負ける。それで、カジノ事業者たちは、おとぎ話のお城とかSFに出てくるようなビルをぼこぼこと建てられるわけだ」
「なんとなく、わかるような気がします」
と頬から疑問符を解いた優子。
「優子さんは初体験を済ませたばかりのビギナー中のビギナーだろ。どうせ失う100万HKDなら、細いものかもしれないが、なんとか希望の糸だけは繋ぎとめておきたい」
「断るまでもないでしょうけれど、わたしはバカラの『条件』だって、うる覚えですよ」
バカラでは、バンカー側の最初の二枚のカードの和とプレイヤー側の三枚目のカードの数字次第で、バンカー側に三枚目のカードが、配られたり配られなかったりする。これが「条件」だ。
バンカー側の最初の二枚のカードの和によって、「3条件」「4条件」「5条件」「6条件」などと呼ばれる。1、2、7、8、9の和であるなら、「条件」は成立しない。
「それは承知している。というか、そうだから頼んでいるんだ。優勝あるいは準優勝したら、賞金の半額を進呈するよ」
と良平。
「えっ? もし間違って優勝なんかしたら、わたしの取り分は400万HKD(6000万円)になってしまいます」
優子の眼が輝いた。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(10)
「あの会社は、韓国ではカジノ事業者として大手の副社長が、独立して立ち上げたものなんだ。だから日本からの客が多くついていた。それだけじゃなくて、海外で打つ内国人の大口リストも握っていた。マカオに進出してから最初の数年は、勢いがすごかった。日本のジャンケット業者も、やっこさんの部屋を借りることが多かったくらいだから」
ジャンケット業界の興亡史でも書いたら面白いだろう、と良平は思う。
ほんの3年前までは、太陽城集団(サンシティ・グループ)とともに龍虎と謳(うた)われた海王集団(ネプチューン・グループ)のジャンケット部門など、いろいろと特殊な事情があったにせよ、現在では金粤控股有限公司と社名まで変えて、細々と営業している状態だ。
一時香港証券取引所(香港交易及結算所)で80HKD(1200円)をつけた海王集団の株価は、現在は20セント(3円)前後でうろうろしている。栄枯盛衰は世の定めとはいっても、その栄華の片鱗さえうかがわせない有り様である。
「その韓国のジャンケット大手は、テーブルのローリング契約量が未達の時に、社長自らがカードを引いて、ノルマを埋めようとした。いい時もあったと聞いている。でもバカラは長く打ち続ければ、必ず負ける。ある月に大負けした。それからは、一気呵成に転がり落ちたそうだ」
「自分の会社のテーブルで、それをやっちゃんたんですか?」
と優子が眼を丸くした。
「そもそもノルマ達成が目的だったのだから、自分の会社のテーブルで打たなければ、意味はなかろう」
良平はつづけた。
「日本の某業者も同じ罠に嵌まっちゃったみたいだけれど」
笑いたいが、笑えない部分である。
いつ自分がその罠に落ちるか、わからないのだから。
でも、自分がその立場に立てば、キャッチボールで凌ぐのではなかろうか。
バカラ卓でのキャッチボールというのは、プレイヤーとバンカーの両サイドに同額をベットする方法である。
プレイヤー側かバンカー側のどちらかが必ず勝つ。
タイ(持ち点同数でプッシュ)が起きても、賭金の移動はない。
したがって、ローリングは進むのだが、この方式ではバンカー側勝利でハウスに差っ引かれるコミッション分が失われていった(プレイヤー側勝利には、コミッションなし)。
計算すると(バカラのルール上、バンカー側には確率の優位があるので)ターン・オーヴァー(賭金額の累計)の1%前後の損失だ。それは切羽詰まった際だけおこなうキャッチボールへの税金、とでも考えればいい。1億円分のターン・オーヴァーで、約100万円の税金となる。生きていれば、死と課税は必ずついてくる。つらいかもしれないけれど、諦めるしかあるまい。
ところが強欲な連中は、なかなかそうは考えられないようだ。
税金の支払いを回避しようとする。
それで、社長自らがバカラ卓でカードを引いた。
そして、負ける。
負けた方が、納税するよりよほど多くの額を払っていることになるのだが、そこいらへんには眼が向かない。
そしてジャンケットの経営者が、バカラ賭博にずぶずぶに嵌まっていった。
俗に言う、「ミイラ取りがミイラになった」というやつである。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(9)
それ俺がお前んとこに貸してるカネだぞ、ごちゃごちゃ言うなや。そら出せ、いま出せ。全額出せ。 と、窓口で怒鳴ってみたくなるものだが、これすべて、「マネロン天国」だった日本の過去の負の遺産のせいだ。 おまけにこの年の秋 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(8)
大阪で釜本と約束した「三宝商会」主催のバカラ大会は、2月の第三週末に開催されることとなった。 本当は日本の三連休に合わせたかったのだが、この年は春節とかぶってしまう。 北京の「反腐敗政策」でマカオへの客足が鈍ったと […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(7)
――チョンッ! とジャッキーの叫び声。 「チョン」というのは、「中(あた)り」を意味する広東語である。 チャッ・シュウ・パッ、とジャッキーが言ったようなのだが、優子はその意味もわからないまま、テーブルに顔を埋(うず […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(6)
――スートゥ(=カードの種類のこと)はスペードだろ。そのサンピンなら、花が向いていないほうの中央にマークが現れたら、そのカードは8だ。バンカー勝利で決まる。出てこないようなら、6か7だから、生き残りを懸けた無残で苦しい […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(5)
「息を止めて、バンカー側1枚目のカードを右上隅からゆっくりとめくりました。そこいらへんは、うちのバカラ・テーブルでのお客さんたちのしぐさの見よう見まねですね」 もっとも、縦か横のサイドからカードを起こす日本からの打ち手 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(4)
「で、どうだったの?」 と問う良平。 「5000HKD(7万5000円)のバイ・インで、恐るおそる始めたのですよ」 と涼子がつづける。 「グラリスはヒラ場でも、そんな金額のベットじゃスクイーズ(=カードを絞ること)は […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(3)
「それからジャッキーくんに誘われて、ヒラ場でバカラのカードを引いたのです。 いつも大金を失うお客さんたちをジャンケット・ルームで見ていたから、こんな単純なルールのゲームをなんであんなに面白がるのだろうと不思議でしたが、 […]