ばくち打ち
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(9)
札幌での集金は、思いのほかスムースに運んだ。
こっちの方は、客にではなくて、マカオの別の大手ハウスでサブ・ジャンケットをやっている同業者の五島に貸したカネだった。
「景気いいんだね」
と都関良平がきくと、
「オモテ経済での統計数値はどうあれ、北海道ではナマコ・アワビ・ウニの密漁が盛況で、ウラ社会のカネは回っている。どうだい、今晩、打ってみるかい」
と同業者に地元の賭場に誘われてしまった。
マカオの人間が、わざわざ日本の非合法のカジノでバカラの札を引く気はしなかった。
たかが魚貝類の密漁とバカにしてはいけないらしい。
北海道のナマコ・アワビ・ウニの3種の密漁だけで、100億円を超す産業だそうだ。
日本の裏社会には、OBにしろ現役にしろ、漁業関係者がけっこういた。
そういえば六代目山口組の司忍組長も、大分水産高校を卒業して魚船に乗っていたっけ。
これは北海道だけではなく日本中どこでもそうなのだが、密漁された大量の魚貝類が、公設の市場で堂々と売買されている。
日本では、クロとシロとの境界線が限りなく曖昧(あいまい)なのである。
法の厳格な運用ではなくて、権力による恣意的な適用がおこなわれた。
事情があって警察が介入しなければ、クロでもシロ。同じく事情があって警察がその気になれば、シロでもクロとなってしまう。
――日本全体が壮大なグレイ・エリア。
と海外で言われる所以(ゆえん)だった。
客ならよほどの信頼を置ける者にしか、『三宝商会』はカネを回さない。
しかしビジネスの性格上、少額なら業者間での緊急な「カネの回し合い」は、よく起こった。少額とはいえども、100万HKD(1500万円)単位、それもキャッシュでの貸し借りだった。
良平はマカオ政府から正規のジャンケット・ライセンスを得ていたが、五島は無認可でサブのジャンケットをやっている。
客さえ握っていれば、そして「部屋持ち」の大手ジャンケット事業者と話がついてさえいれば、口座を借りて、明日からでもマカオでサブのジャンケット業を始められるのである。
「年末に大口の客を連れて行くので、ホームは別として、おたくで『三宝商会』の口座も使わせてよ」
と五島が言う。
「いいよ。ただしバイインは現金でお願いしますね」
と良平。
『三宝商会』は「部屋持ち」ではないから、この五島にとっては口座の又借りだった。
大口の客にクレジットで打たれ、飛ばれでもしたら、良平がこうむる被害は膨大なものとなってしまうのだろう。
「いつもニコニコ現金払い。そうありたいものです」
五島が応えた。
徒手空拳(としゅくうけん)で営業するサブのジャンケットは、マカオにはけっこう多かった。
毎年1月にライセンスを受けたジャンケット事業者のリストが、マカオ政府の官報で公表される。
今年(2018年)は109事業者だった。
5年前の2013年には235事業者もあったのに、その半分にも満たないのが現状である。
なぜか?
簡単な理由だ。(つづく)
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(8)
確かに博奕(ばくち)とスケベイの両方で、マカオを訪れる客も多かった。
でも大口の客でなければ、手っ取り早く金龍酒店や利澳酒店といった中規模地元ホテルに併設された桑拿(サウナ)に放り込めば、それで済む。
モデル級の女は揃っているし、料金は手頃だ。なによりぼられる心配がなかった。
どういういきさつがあったのか不明の部分は多いのだが、マカオ名物だったリスボア(澳門葡京酒店)の「回遊魚」群は、警察の取り締まりで消えていた。あれはスタンレー・ホーの親族が仕切っていたはずだったが。
「でも、わたしは桑拿に入れませんから」
「そうだったな。外部の女人は禁制だ」
マカオの桑拿というのは、性的なサーヴィスもおこなう施設である。
日本流というか世界流の「サウナ」に行きたいのなら、マカオでは「SPA」を利用することになっていた。
ちょっと値が張ってもいい客が相手なら「夜總會」に連れ出すのだが、考えてみればそこも女性は入れない。
5週間の予定で大陸から出稼ぎに来るシロウト娘から、パリやロンドンやサンフランシスコの冒険少女まで、プロなら欧米の高級娼婦と、マカオには世界中の美女が集まっていた。
「連中は慣れているから、優子さんの手を煩わせることはないと思うけれど」
と良平。
「いざとなったら、『天馬會』のジャッキーくんに頼んでみます」
優子の頬にわずかな赤みがさした。
恋が芽生えているのか。
「ジャンケットのお仕事は、予想していたようにエキサイティングでスリリングでした。24時間対応で身体がきついことはあるにしても、わたしに向いている、と思うのです。ただお客さんにセックスのための女性を斡旋することだけは、仕事の一部だといえ、わたしはやりたくありません」
優子は、上司に対しても自分の考えをはっきりと主張する。
良平の経験では、カジノの仕事だというと、男女にかかわりなくへらへらした者たちが集まってしまうものなのだが、みんな永続きしなかった。生き馬の目を抜くようなマカオのジャンケット業界では、というかそういう業界だからこそ、芯が一本ぴしっと通った人間が、生き残れるのである。
泥水を飲むことが多い稼業でも、優子さん、あなたは眼の輝きを失わないでいて欲しい。
口には出さず、良平は心の中で願った。
* * *
あとを優子に任せて、都関良平は日本へと旅立った。
2週間ほどの予定だが、なに、トラブルが起きたら、その日のうちにはマカオに戻れるのである。
良平が日本に向かった主な理由は2件あった。
(1)札幌と大阪での集金。
これは時間を喰うかもしれなかった。
(2)東京でリゾートJJ社の本社をのぞいてみること。
こっちの方は、たしかに就職活動における面接なのだろうが、良平が雇い主であるリゾートJJ社にインタヴューするもので、その逆ではなかった。
ナニィは、還暦を迎える来年には出身地の瀋陽に戻ってしまう。娘のリリーも、時期を同じくして、どうやらアメリカの大学に進学するつもりらしい。
都関良平も、そろそろ身の振り方を決めておいた方がいいのだろう。(つづく)
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(7)
「きみのお母さんが消えたのは、『ウイン・マカオ』がファンファーレとともに開業した直後だった。ラスヴェガス資本同士で、大口客の奪い合いがおこった。それでやっと日本のジャンケットも、『サンズ・マカオ』のVIPフロアに潜り込めるようになったんだ。テーブルに空きがでてきた。その日昼過ぎに、マギーと二人で一緒にジャンケット・ルームに顔を出した。別々のルームだったのだが、わたしの部屋は混んでいて、連れて行った客が座れない状態だ。
しかたないので、ハウス直営のプレミアム・フロアの方に入れてもらった。この日はたまたまだったのかもしれないが、『香港ルーム』も『広州ルーム』も満杯だ。大陸からの客足は途切れていなかったんだね。でも、ハウスはプレミアム・フロアなら、どんどんと新しいものを開放してくれる。3Fの部屋だけではなくて、上の階の部屋まで開けてくれた。それではじめて、うちの客のクラスでも、VIPフロアで博奕(ばくち)が打てるようになった。想い返してみると、とんでもない時代だったもんだ」
右掌に箸をもったままのリリーが、不思議な表情を浮かべた。
「これもまあ、『戻らぬ夢のおさらい』というやつだよ」
たしかにこんなことをいくら娘に説明しても、仕方あるまい。理解不能なはずなのだから。
「その日はそれぞれの客の接待で、マギーとはディナーで合流する予定になっていた。しかしマギーはディナーの席に現れなかった。マギーがアテンドしていたジャンケット・ルームのマネージャーに連絡したら、午後5時ころに客と一緒に出て行ったそうだ。家に戻って、一晩中待っていても、帰ってこない。もちろん、携帯もつながらなかった。煙のように消えちゃったんだ」
「なんで?」
と緊張した面持ちのリリーが訊く。
「思い当たるフシが、まったくない。なぜきみとわたしを残して、マギーが突然消えてしまったのか」
ただ、こう考えても、それほど間違ってはいまい。
あの頃のマカオでは、人が消えた。
とりわけジャンケット関係者たちは、よく消えた。
はるか昔に手打ちとなったはずの『マカオ戦争』が、良平たちにはわからない部分で、まだ尾を引いていたのかもしれない。
そうであっても、なんでマギーなのだ?
良平が知る限り、あの頃のマギーはトラブルを一切抱えていなかった。
あれから12年間、都関良平が問い続けてきた疑問である。
良平は、新しく届けられたコニャックを、一気に嚥下した。
熱の塊が食道を落ちていく。
* * * *
11月も末になると、上海蟹解禁で増えた日本からの客の足もまばらとなり、年末年始のかき入れ時まで、しばらく時間がとれるようになる。
おまけにその時期には、『三宝商会』に日本からの大口客の予約は入っていなかった。
フロント・マネーが50万HKD(750万円)から100万HKD(1500万円)クラスの常連客の名がちらほら。
これなら優子一人で充分に対応できるだろう。
「できるよね?」
「はい、できます。ただ女の人をお世話するのは・・・」
優子が口ごもった。(つづく)
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(6)
「マカオ経済界の著名人・M社のTさんの名前は、リリーも聞いたことがあるだろう」 ジャスミン・ティーで唇を濡らす娘に、良平は訊いた。 「うん。よくテレビや新聞に名前が登場するよね」 とリリー。 Tは、現在大手カジノ事業 […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(5)
「きみの父親については、マミイから一切聞いていない。マギーは話さなかったし、わたしも聞きたくなかった」 都関良平は、正直に娘に話した。 「わたしには、マミイの記憶がおぼろにしかないし、生物学上の父親が誰だかわからない。 […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(4)
「わたしは、One Night Standはしない。それでいいの?」 英語で誘ったのだから、当然にも返事は英語で戻ってくる。 この頃の良平には、‘One Night Stand’というフレーズの意味が分からなかった。 […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(3)
良平が新天地マカオでの生活に慣れだした2000年末あたりだったか、突然マギーは消えてしまった。 あの頃のマカオでは、よく人が消えている。 おそらく『マカオ戦争』の余波を受けた者たちが、ある者は逃亡し、またある者は、 […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(2)
「マミイがいなくなってから、ダディがずっとわたしの世話をしてくれた。とても感謝しています。だから、もうダディは自由になってください。ポルトガルとマカオの大学なら奨学金を取れる。でもアメリカの大学の場合は、たぶんダディから […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(1)
中秋節が近づき、学校は休みに入った。 この時季には大陸からの客が大幅に増えるのだが、都関良平の主な客筋である日本からのジャンケット利用者数に変化はない。 11月になって上海蟹(しゃんはいがに)の季節となると、日本か […]
第6章:振り向けば、ジャンケット(30)
ジャンケット業者にとっては、願ってもない展開となりそうである。 両者とも3000万円前後の手持ちで、一方が負けた分、他方は必ず勝つ。 一直線に昇ったり落ちられるより、勝ったり負けたりするこちらの張り方のほうが、ロー […]