香山リカ、『絶歌』から「元少年A」の脳の機能不全を読み解く

香山リカ

香山リカ

 話題の書『絶歌』を読んだ。出版自体の倫理を問う声もあるが、何らかの精神的な病理を抱え、それが犯行にも関与しているはずの元少年のこの手記を読まないわけにはいかない。

 世間の感想とはかなり違うと思うが、私は一読して「痛々しい」と思った。当時は精神鑑定で「行為障害」という診断名を与えられたが、元少年は当時もいまも感情のない世界を生きている。おそらくその原因は、男性の脳の構造や機能の特徴というか、機能不全に由来するものだろう。

 それは本質的には変わっていないし、そのことを本当の意味で異常だとは実感できないままだ。だから、こんな手記を書いてしまったのだろう。というより、彼にはこれしか書けなかったのだ。世間の人が言うような、自己陶酔でも自己顕示でもないと思う。彼なりに少年院やその後の生活で一生懸命、「感情とは何か」ということを“学習”し、それなりの成果はあげている。これはその発表なのだが、世間の基準からはいまだかなりずれており、奇妙というより嫌悪感を抱かせるものにしかなっていない。

「これを発表するとこんな反応が返ってくるよ」と誰かが懇切丁寧に説明しなかったのだろうか。あるいは、せめて誰か専門家が「なぜ男性はこのような書き方をするのか」と精神医学や脳科学見地から解説を加えたほうがよかったのではないか。

 それにしても、世間からの逆風は凄まじい。遺族への連絡もないまま出版された本書を、販売しない、と決めた大手書店もあり、有識者らもこぞって出版や内容を非難した。遺族が抗議を申し出るのは当然と思われるが、ネットを中心に「買いません」「見たくもない」という声が渦巻いている。

 また、その内容についても「自己陶酔的な書き方で不愉快でしかない」「謝罪や反省の言葉がほとんど見られない」「文学作品からの引用をちりばめた卑怯な自己正当化」といった酷評がほとんどで、発行部数10万部を超える“ベストセラー”となったことから、多額の印税のゆくえへの疑義を訴える声もある。

 しかし、ちょっと待ってほしい。

 冒頭で触れたように、本書は“読み方”に注意して読む必要がある本だと思う。一般常識に照らし合わせて読み、「反省の色が足りない」などと評するのは、もちろん自然な感想ではあるが、実はあまり意味がないのではないだろうか。繰り返しになるが、なぜなら、おそらく元少年A(同手記にならって、ここからはその名前を使うことにしよう)は「感情の存在しない世界」でしか生きられない、というある種の障害を抱えていると思われるからだ。そして、それは「心の闇」といった心理的な問題ではなく、何らかの脳の機能不全に基づいていると考えられる。

 その状態にあえて名前をつければ、やはり「サイコパス」ということになるだろう。

「サイコパス」はかつて「精神病質」といわれ、その後、差別的なレッテルだということでガイドラインから消えたが、最近、脳科学の発展とともに再び復活の兆しがある診断名だ。現在は「反社会性パーソナリティ障害」という診断名に吸収された形になっているが、前者は単に「ルールを守れない人、道徳心が欠如した人」を指すとすると、後者は情動障害つまり適切な感情が持てない、他者の感情が理解できないという側面がより強い。

 元少年Aには逮捕の後、精神鑑定が行われ、「行為障害」「性障害(性的サディズム)」という診断名が与えられた。「行為障害」はわかりやすく言えば「18歳以下の反社会性パーソナリティ障害」を指す。パーソナリティ障害という診断名は18歳以上に与えられるものだからだ。そしてやや複雑な話だが、「行為障害」は現在の精神医学では「素行障害」と呼ばれている(英語の「condut disorder」に対する訳語の変更)。

 素行障害の特徴は、ひとことで言えば「他者の権利の侵害と攻撃性」。年齢相応の社会的規範や規則を守れず、複数の分野にわたる問題行動が起きて、その結果として他者の重大な権利の侵害を招くような「反復し持続する行動様式」とされる。つまり、ルール違反も一度か二度では「素行障害」とはならない。

「じゃ、いわゆる不良やウソつき、万引き常習犯か」という話になるはずだが、元少年Aはそのどれにもあてはまらない。2013年に発表された最新の精神障害ガイドライン(DSM-5)には、この素行障害に「冷淡で非情緒的特性型」というサブタイプが加わった。これは「感情的体験の欠如、傲慢で他者を操作しがち、自己愛的、衝動的で無責任」を特徴とする素行障害で、まさに元少年Aを思わせるものである。

 さて、この素行障害が大人になったものが反社会性パーソナリティ障害、と先ほど述べたが、この新しいタイプ「冷淡で非情緒的特性型」も大人になるとそうなるのだろうか。このあたりは専門的な話になって恐縮だが、どうもそうとは言い切れないのだ。

 というか、現在のガイドラインでは反社会性パーソナリティ障害としか診断できない人たちの中に、「ちょっとほかとは違う」というタイプがいる。つまり、「ただのワルや詐欺師(の大人)」というのではなく、一見、知的で人あたりも良いのだが、実は心の中が冷え冷えとして一切の良心を持ち合わせていないような人たちだ。これこそ「サイコパス」で、この人たちは従来の「反社会性パーソナリティ障害」から区別すべきだ、というのが最近の議論なのだ。

 話が込み入ってしまったが、私は元少年Aはこの「サイコパス」に相当しており、それが犯行当時には「素行障害(非情緒的特性タイプ)」と診断されたのではないか、と考えている。「サイコパス」は医学的、臨床心理学的かかわりでその攻撃性や衝動性をコントロールすることはできるはずだが、本質的な意味で「完全に治る」ということはない。

 脳の研究は、その動きをリアルタイムで画像検査することができるような装置ができて、画期的に進んだ。最新の研究では、自分の感情にも鈍感で他者に共感することができないサイコパスの人たちでは、その脳の奥まったところにある帯状の組織(傍辺縁系と呼ばれるひとまとまりの馬蹄形の部分。眼窩前頭前野、前帯状回、後帯状回、島、側頭葉極、扁桃身体という部分からなる)がうまく機能していていないことが明らかになりつつある。この組織は、情動のキャッチや調整、衝動の抑制、社会的規範の認識などに重要な役割を果たしている。ある論文には、これが「サイコパスの脳の画像検査では、この傍辺縁系組織が顕著に薄くなっていることがわかっており、弱い筋肉と同じように脳のこの部分が十分に発達していない」とわかりやすく説明されていた。

 しかし、元少年Aの場合、完全なサイコパスかといえばそれも違う気がする。彼は自分の中に「魔物」が住んでいると当時の作文に記し、今回の手記にも「本当は誰よりも自分で自分の異常性に気付いていたのではないか?」と書いている。また、サイコパスは自分の感情にも他人の感情にも気づけないはずだが、元少年Aは少なくとも祖母や飼い犬とは情緒的な交流ができていた。また母親に対しても「自分のやったことを、母親に対してだけは知られたくなかった」と述べている。さらに、少年院で勧められるがままに古今東西の文学作品を読み漁ったのも、自分には感情や他者への共感に関するセンサーが欠けており、何とかそれを取り戻さなければという気持ちはあったのだろう。完全なサイコパスであれば、いくら感情に無自覚でも不安になったりあせりを感じたりもないのだ。

 おそらく今回の手記は、彼なりの情緒に関する“学習の成果”なのだろう。生来の生真面目さもあって彼は一生懸命、本を読み、近くにいた人たちを観察し、「人の痛みを感じるとはこんなこと」と学んで、それを手記に書いたのだ。しかし、そんな努力をしなくても生まれつき「かわいそう」「かわいい」「わあ、喜んでくれてうれしい」といった情緒を持っている人たちから見ると、不自然さだけが前面に出た世にも奇妙な回想であり説明でしかなかった、というわけだ……。

 そういう意味で私は、今回の本にはやはり専門家の解説をつけるべきだったのではないか、と思う。彼がなぜこういう手記を書こうと思ったのか。そして、なぜこのような内容になったのか。それは彼の脳の問題やそれに由来する情動障害という問題を抜きにしては、理解できないだろう。

 私が彼に脳の機能不全がある、と確信している理由はもうひとつある。

 それは、これも当時の精神鑑定にある「直観像素質」という映像記憶の能力だ。彼は見たものをそのまま記憶し、正確に再現してみせる能力があると言われており、それもまた今回の手記では「反省していないから詳細に記憶しているのだ」と批判の対象になっている。しかし、これも脳機能の問題である発達障害の人の中に、この特殊な記憶の能力を持つ人がいる。元少年Aは発達障害の枠内では考えられないケースだとは思うが、彼の脳機能に何らかの特殊性があったことを示すサインである。

 もちろん、脳に機能不全があるから何をしてもよい、何を書いてもよい、ということではない。また「サイコパス」という呼び名じたいがレッテル貼り、差別だとして一時、使われなくなった時期もあり、私も今回、その名前を使うのをためらった。しかし、脳研究の進歩によりサイコパスの実態が科学的にわかるようになってきて、同時に彼らに有効な心理療法の可能性も出てきたのだ。そのため今回は、あえてその単語を使った。

 ただ残念ながら、現在の医学ではサイコパスの脳の機能不全を、本質的な意味で治療する方法はない。集中的な心理療法を行っても、社会のルールを逸脱したり犯罪を起こさないよう衝動をコントロールできるようになるだけで、完全に他者の気持ちに配慮したり共感したりできるようにはならないだろう。そういう意味で加害男性は「治っていない」と言えるかもしれない。

 男性はもともと高い知的能力があり、冒頭でも触れたように、心理療法での“学習”はかなり成功した、と考えられる。また、彼に残っていた祖母や愛犬との情緒的交流の記憶が、その後の回復に一定の役割を果たしていることも事実だ。しかし、本書を通して読むと、とくに前半の子ども時代の残虐行為の詳細で客観的な記述のあたりからは、「ああ、本当の意味では同情、憐憫、共感などの感情は持てないままなんだな」と思わざるをえない。

 私が気になるのは、社会で生活しているこの男性は、いま何らかの心理的サポートや医療のケアを受けているのかどうか、ということだ。もちろん、これだけの事件なのだから何もフォローがないとは思えないが、手記にはその記述が一切ないのがやや気がかりだ。

 また、これは研究者としての関心なのだが、彼は脳の画像検査や機能検査をどれほど受けたのだろう。もちろんプライバシーの問題もありそれをつまびらかにするのはむずかしいのかもしれないが、手記まで発表して何らかの社会的貢献をしたいと考えているのであれば、ここはいっそのこと、研究者とともに自らの心理テストの所見、脳画像検査の所見なども発表する、という手もあったと思う。

 これはぜひ強調したいのだが、もちろんサイコパスにも生きる権利はあると私は考えており、強力なサポートがあれば彼らが社会の中でほかの人たちと共存したり、少しずつでもいわゆる“人間らしさ”と一般的に言われるものを獲得していったりすることも不可能ではない、と私は自らの臨床経験や先行研究の調査などを通じて確信している。

 そのためにもぜひ、この男性にはサイコパスへの教育プログラム作りに積極的に協力する、くらいのことはしてもらいたいと考える。

 いずれにしても、程度の差こそあれ、「素行障害(非情緒的特性タイプ)」の子どもや少年は確実に一定数、存在しており、より効果的(社会にとっても本人にとっても)なプログラムの開発が早急に望まれる。犠牲になった方々や遺族のためにも、少年法に守られ、いまは社会で暮らす元少年A自身そして今回の手記が、せめてプログラム作りの一助になることを願いたい。 <文/香山リカ>

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