AKB48・高橋みなみ「前田敦子と同時期に卒業しなかったのは自分が凡人だったから」
12月をもってグループ活動を終え、来年3月に卒業する高橋みなみ。AKB48グループの総監督である彼女は第1期の創設メンバーであり、お客さんが7人だった頃から国民的グループになるまで10年にわたってステージに立ち続けてきた人である。とてつもない大所帯のリーダーとして彼女が担ってきたこと、そして、残されたメンバーに伝えたいこととは? たかみなが卒業前にすべての思いをさらけ出してくれた――
AKB48の小さな巨人がついに卒業する。“たかみな”こと高橋みなみ。当初は違和感すらあった「総監督」という役割を世に知らしめ、リーダーとしてその重要さを浸透させた。だが、彼女自身は最新著作にて、自分のことを「凡人」と言い切っている。国民的アイドルグループのフロントマンとして第一線を駆け抜けてきた彼女が、決して自虐的にではなく、なにゆえそう口にしたのか? 卒業を控えた今だからこそ聞けた言葉には、10年間のわだちが詰まっていた。
――『リーダー論』は泣ける新書でした。高橋さんが「凡人だ」と言い切り、「だから頑張るしかない」とのドキュメント性が感動的で。
高橋:ありがとうございます。
――凡人ですか?
高橋:凡人ですね、本当に(笑)。今までAKB48を卒業していったメンバーをたくさん見てきましたけど、彼女たちには“才”があるなぁと痛感してきましたから。前田敦子然り、大島優子然り。前田が卒業した時に、自分は彼女と同期で同い年だったので「あ、私も卒業を考えなきゃ」と思ったんですね。でも、その時期にすぐ決断できなかったのは、自分が凡人だったからです。前田は女優の道に進みたいと言う。じゃあ私には何があるんだろ、なんにもないじゃんって。そもそも、10代のわりと早い時期に「私は前田敦子にはなれない」と自覚していました。
――10代でのその自覚、切なくなかったですか?
高橋:いやぁ、相当切なかったですよ! 私、インディーズ1枚目のシングル「桜の花びらたち」でセンターだったんですね。秋葉原の劇場の7人のお客さんから始まって、少しずつファンの方が増えていったんですけど、ゆっくりと人気の差も出てくる。ポジション的には私と前田が恵まれていたんですが、彼女のほうが人気も出てきて、それを反映するように次第にセンターは前田敦子というイメージが固まっていって。当時15歳か16歳だったと思うんですけど、そんな幼い年齢でも「あ、私はもう二度とセンターには立てない」とわかるんです。その現実を受け止めるのは……ちょっと厳しかった。
――AKB48をやめようとは?
高橋:一切思わなかったです。たしかにやめたほうが楽だったのに、なんでなんだろう? 今ふと思い出したのは「やめれば?」って親にすごく軽く言われたことでした。親心で「違うことすれば?」とも言ってくれて。ところが私は「AKB48のことをなにも知らないじゃん!」とキレちゃって、「頑張ってって言ってよ、逆に!」とか叫びながら号泣したんですよ(笑)。たぶん、その頃すでにAKB48のことが大好きだったんだと思います。おもしろかったんです、夢が無謀すぎて。7人しかファンがいないのに公式ブログのタイトルが「東京ドームまでの軌跡」だなんて「無理無理、250席も埋まってないから!」って(笑)。
この後、インタビューは「AKB48の革命児」「努力は必ず報われるか?」「後輩たちへ贈る言葉」「もし10年前にAKB48を卒業していたら?」「卒業後の人生」などまだまだ続きますが、その模様は12/8発売の週刊SPA!に掲載されているインタビュー連載『エッジな人々』をご覧ください。 <撮影/江森康之 取材・文/唐澤和也 ヘアメイク/大場聡美 スタイリスト/岡村 彩 衣装/ merryjenny>
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『リーダー論』 AKB48を卒業する高橋みなみが、最後に語る“リーダー論”。 |
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