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拡大する台風被害にむけて持つべき「減災」の意識

巨大化する台風の被害を減らすための、いたって常識的な心得

2011年、台風12号による土砂崩れ(田辺市)

台風の被害は拡大しているのか

 近年の台風は、以前に比べると大きな被害をもたらしているような印象を受ける。自然災害のうち、突然起こる地震と違って、台風は事前の対策がとりやすいが、やはり想定外の事態が発生するなどして、大きな被害が起こってしまうのか。  あるいは、エルニーニョ現象による海水面温度の上昇など、地球温暖化の影響も、巨大台風が発生する要因があるともいわれており、以前にも増して勢力の強い台風になることから、結果的に被害も拡大するのだろうか。  現代では、詳細な気象情報が随時更新されており、膨大なデータを駆使して予測がされる。だから、精度の高い情報をもとに、様々な防御策をとることができるので、人的被害を減らすことが可能となってきたが、昔の台風は人的被害も大きかった。

昭和の台風被害

 これが戦時中では違った理由で被害が拡大した。例えば、昭和17(1943)年の周防灘台風は1000人以上の死者行方不明者となった。戦時中は、軍事作戦に影響を及ぼすという理由で気象情報も機密扱いとされた。開戦後は、天気予報が中止されており、そのことも周防灘台風が犠牲者を増やした大きな要因であるといわれている。  濱口和久著の『日本の命運』(育鵬社)によると、周防灘台風と同様に、終戦直後に発生した枕崎台風も大きな被害を出した。その時の犠牲者は広島市と呉市で2000人以上。枕崎台風が来たのは広島に原爆が落とされた翌月の昭和20(1945)年9月のことだった。  とくに広島の被害を大きくしたのが土石流で、長引く雨により、何カ所もの傾斜地で土石流が発生した。土石流発生の原因といわれるのが山林の伐採。これは、戦時中に石油の代替として松の木の油を使用するために山林を伐採し、それで山の斜面が崩壊しやすいようになっていたからだという。  原爆投下に加えて、敗戦直後という混乱した中で、広島では防災態勢が整っておらず、そのうえ、防災情報を市民に伝える通信手段がなかったことも、被害を大きくした要因だともいわれている。原爆による被害を受けた後の台風という状況が、いかに、広島の人々にとって過酷だったかは、言葉では言い表せない。
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過去の教訓を生かそう
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日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理

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