雑学

熊本城の再建が始まった今、復興途上の熊本地震と日本の危機管理を考える

熊本市民のシンボル


 4月14日、16日の二度にわたって熊本地方を襲った震度7の地震によって、熊本城は天守や重要文化財の櫓、石垣に大きな被害が出た。地震前の状態にすべてを修復するには最低でも10年はかかると専門家はみている。費用も100億円を超えると見積もられている。

 熊本城の哀れな姿にショックを受けた城郭ファンも多いだろう。テレビの映像を目にして「自分の家よりも熊本城が壊れたことのショックが大きい」という人の声も聞いた。

 私自身、城郭ファンの一人として、そして熊本出身の者としても熊本城の今の姿は悲しい気持ちになる。

 多くの観光客が訪れ、熊本市民のシンボルとなっている熊本城は、そもそも慶長12(1607)年に加藤清正によって築城されたものだ。堅固な城郭から「不落の名城」とも呼ばれている。

西南戦争を耐えた名城


 清正は熊本城の築城において40メートルを超える高石垣に反りをつけた「扇の勾配(下は緩やかで上にいくほど垂直になる)」の石垣を編み出した。これが有名な「武者返(むしゃがえ)し」と言われるものだ。

 この「武者返し」の能力が実戦で如何なく発揮されたのが、築城から270年後に起きた明治10(1877)年の西南戦争のときである。西郷隆盛率いる薩摩軍の兵は、誰1人として城内に入ることができなかった。

 西郷は終焉の地である鹿児島の城山で「私は官軍に負けたのではない。清正公(せいしょうこう)に負けたのだ」という言葉をつぶやいたとも言われている。

 西南戦争では落城しなかった熊本城も、今回の二度にわたる震度7の地震(自然災害)には持ち堪えられなかった。

熊本城再建の日


 実は明治22(1899)年にも地震の被害をうけていた熊本城は、その時、一部の石垣が崩落した。だが、その事実を知らない人も多かったようだ。ほとんどの市民にとって、「熊本で地震」という意識はなく、台風などによる水害に備える方に意識が向いていたのは仕方のないことだろう。

 地震の前にはNHKの「ブラタモリ」でも熊本城が詳細に紹介された。その放映直後に地震が起きてしまったのだが、この映像が熊本城の再建に役立つという話もある。

 熊本城の再建が完成する日が、復興が終えた日だと思う熊本人も多いのではないだろうか。

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日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理

日本史の40の事例が示す、危機を乗り越えるための教訓




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