石田三成が関ヶ原の戦いに負けたのは下痢だったから!? 【歴女内科医・まり先生の歴史診察室】
秀吉の死後、家康に睨みを利かせていた前田利家が亡くなると、三成は清正や福島正則などの武断派に襲われ、それを契機に五奉行引退へと追い込まれます。 しかし、慶長5年(1600年)7月に家康の会津征伐がはじまると、弾劾状を出して家康に戦線布告、かくして天下分け目の関ヶ原がはじまるのでした。じゃじゃじゃーん。 結果、毛利は動かず、小早川秀秋は裏切り、脇坂なんかも寝返ってで西軍敗北~。ちょっとドラマの真似をして関ヶ原をはしょりましたが、実は敗因の一つに「三成がお腹を壊していたから」ってあるのをご存知でしたか? 関ヶ原当時40歳の三成は、親友の大谷吉継と違い、特に持病があったような記録はございません。 ただ、合戦前日からお腹の調子は悪かったようです。 この場合、最も疑わしいのは食中毒です。が、あの三成が大事な合戦の前に当たりそうなものを食べるとは思えません。普段いい加減な私ですら国家試験の数日前からは刺身などの生モノを避け、暴飲暴食をせずその日に備えました。 では、三成が下痢をした原因はなんでしょうか? 日本大学の早川智先生の説では「過敏性腸症候群」が疑わしいとのことです。日大早川先生の説では「過敏性腸症候群」が疑わしい
過敏性腸症候群とは主に大腸の運動機能と分泌障害でおこる病気です。 血液検査や腸の検査をしてもガンや炎症などの異常を認めないのに、お腹の調子が悪くなる病気で、症状としては下痢タイプ、便秘タイプ、そして下痢と便秘を繰り返すタイプがあります。 好発年齢(その病気にかかりやすい年齢)は20~40歳。 ストレス社会の先進国に多く、原因としては腸を司る自律神経のバランスが崩れることにありそうで、生活習慣の乱れなども相まって複合的に作用するそうです。ゆえに、元々神経質な人が暴飲暴食や過労、プレッシャーなどに晒されると、症状が出る場合が多くなります。 ほら、プレッシャーでお腹を壊す人がいるじゃないですか。 大事な試験やプレゼンの前にお腹がゴーロゴロ。三成を例にとっても神経質でデリケートな性格で、しかも天下分け目のプレッシャーですから、これは医学的にもお腹を壊しておかしくない状況です。 週刊ポスト2016年5月6・13日号の記事で三成の子孫の方が「石田家の男子はお腹が弱いらしく、試験前日などにはよく下す」と話されていました。石田家ではこれを「三成腹」と呼んでいるそうで……。 かくしてお腹の調子が悪かった三成は十分な指揮が取れず敗戦に至ったということです。石田家では「三成腹」と呼んでいるとか
『戦国診察室 お館様も忍びの衆も歴女医が診てあげる♪』 現代医学の観点から、戦国時代の武将の生活習慣や医療環境などを見つめなおしたショートエッセイ集 |
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