“Jポップの伝道師”DJ和が語る、ミックスCDのこれからの在り方
――そんななかで、クラブで音楽会社の人と出会ってミックスCDを作ることになったと。
本当に、たまたまなんですけどね。Jポップをクラブで流し出してから2年目くらいだったと思うんですけど、その頃は他のジャンルのイベントにお邪魔して、僕だけJポップを流すようなスタイルだったんです。
そんなときにソニーのプロデューサーに会いました。そのときもテクノのイベントだったと思うんですけど、朝方のラウンジで流していたらその場が大盛り上がりになっていたんですよ。そのときはWANDSやB’z、DA PUMP、SPEEDとか“みんな歌える”レベルの曲を流していたと思うんですけど、それが全員で大合唱するような盛り上がりで……。そこにたまたま居合わせたプロデューサーに自己紹介されて、結果としてはスカウトみたいな形でDJミックス盤を出すことに繋がったんです。
――それで最初に出したのが『J-ポッパー伝説』(’08年)ですが、こういったJポップのDJミックス盤という作品は、当時はかなり異色だったんですか?
そうですね、かなり近いテイストの作品だとDJ KAORIさんの『JMIX』というシリーズがあるんですけど、それは僕としては先を越された感がありました(笑)。ただ、KAORIさんのような方が出すことによって、そこから急激にJポップのDJミックス盤が増えた感じはします。その前はほとんどありませんでしたから。
――それがいきなり13万枚を売り上げた。
当時はちょっとしたコンピ・ブームだったんですよね。それに上手く乗れたのはよかった。あと、セールス的には都市部よりも郊外とか地方のほうがよかったんです。たぶん車で聴くという文化が根強いからだと思うんですよね。ライフスタイルのなかで、こういうコンピアルバムが生きやすいんだと思います。
――その後にソニーの社員にもなったわけですが、入社したのはなぜですか?
いや、たいした理由があったわけじゃないんですよ(笑)。『J-ポッパー伝説』のシリーズの第4弾を出したあたりで、流れで「社員になってみないか?」と声をかけてもらって。たしか’10年頃でしたね。僕の場合はプロデュースでもないですし、トラックを作るだけでもない。現場でのプレイとミックスCDを作るのみだったので、わりかし動ける余裕があるなぁと感じていたんです。イベントは土日ばかりだし。だから平日の昼間は動けるから「社員をやるのも面白そうだな」と思っただけという。特に深い意味はないんです(笑)。
――といっても異例といえば異例ですよね。
そうですね。前には音楽活動をやめた元アーティストが後に社員になったという人はいたらしいんですが、現役でCDを出している人は僕だけかもしれません。ただ、一応、契約としては業務委託なんですよ。仕事内容はほぼ社員と一緒なんですけど。
――普段は仕事と作品作りを、どういう配分でやっているんですか?
今はほぼ自分の作品まわりのことばかりをやっている感じですね。なんか仕事の境い目がなくなっているというか、あんまりどちらの仕事だと、意識していることもないです。もともとが歌い手のような“アーティスト”という感じではないし、それほど表に出ていく人間ではありませんでしたから、すんなり今の形を受け入れられたのかなと。
――コンピCDだと権利関係が複雑そうな印象を受けますが、そういった許諾をとる作業も自分でやっているんですか?
そうですね。頂いた音源を繋いで権利元と連絡をとったりとか。基本的には何人かでチームで動いているんですけど、僕が企画を出して会議に出て、制作に移るというような流れで。社内ではもう普通になっちゃったんですけど、冷静に考えたらけっこうおもしろい形ですよね。最初は社内でも苦笑いされてました(笑)。「次のDJ和の作品はこうで~」とか、自分で自分のことを会議でプレゼンしたりしてるんで。なんのかんの風通しがめちゃくちゃいいんで「連絡が早くて助かる」と、評判はいいみたいですけど。
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