更新日:2022年08月25日 09:42
スポーツ

武藤敬司が体感した“電波に支配されたプロレス”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第327回(2000年編)

 テレビ番組の登場人物という位置づけのプロレスラーにとっていちばん大切なのは、みずからのキャラクターはみずからの手で守ることなのだということがわかってきた。  WCWの人気商品としての“グレート・ムタ”は1990年あたりで時間が止まったままになっていた。10年まえのムタしか知らない番組プロデューサーは、TVマッチのたびにムーンサルト・プレスを使ってくれとリクエストしてきた。ルッソー・プロデューサーもムタをいわゆる怪奇派レスラーと決めつけていた。  武藤がWCWのリングに上がるようになってから数カ月のあいだにバックステージではいろいろな事件が起きた。ハルク・ホーガンがルッソー・プロデューサーと大ゲンカをして、その次の日から試合会場に来なくなった。  経費削減プランでいきなり30選手くらいがカット(解雇)された。年俸100万ドル・クラスのレックス・ルーガー、ダイヤモンド・ダラス・ペイジあたりが急にテレビの画面から消えた。エリック・ビショフが“ナイトロ”の番組収録に顔を出さなくなった。  「レスラーの感性が殺されたらプロレスはおしまいだ」と武藤は考えた。リングのなかまでテレビに支配されているプロレスはどうしても好きになれなかった。殺されちゃう、殺されちゃう。気をつけないとテレビのスイッチを切るみたいにグレート・ムタが殺されてしまう。  ムタというリングネームは、WCWのだれかがMUTOをムータと発音したことがそもそものはじまりだったけれど、時間をかけて育ててきたキャラクターだからやっぱり愛着がある。  かつてのライバル、スティングがすぐそばで苦しんでいた。10年まえはまるっきり売れていなかったケビン・ナッシュがドレッシングルームを牛耳る存在にのし上がっていた。いつのまにか長い時間が経過していた。  ムタはムタとしてWCWの登場人物を演じ、武藤は武藤でアトランタから日本のプロレス・シーンをにらんでいた。わざと“浦島太郎”になってみたら、地球の裏側の動き、これからの自分のイメージがよくみえてきた。
斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
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