更新日:2022年09月25日 10:50
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タイ・カオサン唯一の日本人旅行代理店「ここにはもうバックパッカーはいない、それでもカオサンを愛している」

タイ人と仕事上で付き合っていくことの大変さ

 初めての海外生活、初めての旅行代理店運営。なにもかもが初めてだった。カオサンで旅行代理店を運営することは楽しいことも多いが苦労も絶えないと言い、苦笑いを浮かべながらあるエピソードを話してくれた。 ――ある日、契約しているタイ人運営のツアー会社から電話が入った。取引業者のタイ人はツアー客をホテルへピックアップに行かなければならないはずなのだが、彼は信じがたい言葉を発したのだ。 「道に迷ってホテルへ行けないから、ツアー客に日程を変えてもらうよう言ってもらえないか?」  日本人の丸山氏から見れば、耳を疑いたくなる言葉だっただろう。信じがたい事例だが、タイ人運営のツアー会社相手だと珍しいことではない。タイで働く日本人が「タイ人のいい加減さ」に直面し、ストレスを抱くことは多いが、丸山氏も例外ではなかった。頻繁にトラブルを起こす取引業者に対しては、反省や改善を何度も促していく。  面倒臭い作業だが、トラブルを起こしても非を認めないタイ人が多く、叱責しても逆効果となるため、状況証拠を積み重ね、説明し、改善につなげていくしかない。その甲斐あり数年前に比べトラブルは劇的に減った。一方、減ったトラブルの代わりに増えたモノもあるという。 「タイへ移住してから白髪が増えましたよ(笑)」  経験したトラブルの数々は、丸山氏が茶髪に染めた理由にもつながっていった。

だから彼はカオサンを選んだ

 カオサンに安宿が乱立し始めたのは1980年代。それと共にカオサンへ訪れるバックパッカーも爆発的に増え、カオサンには彼らが持ち寄る情報であふれていた。  ここで情報を得て次の目的地へと向かう。情報を一切持たずとも、とりあえずカオサンまで来ればなんとかなった時代だ。ところが2000年を過ぎると時代は急速に変化を見せ始める。インターネットが現れ、情報は「人」からではなく「PC」から得るものになっていった。 「最近の若い旅行者たちは『Wi-Fiが無ければ旅行なんて無理じゃね?』って言います。私がバックパッカーだった頃、2000年以降ですがその時でも旅先のインターネットカフェを利用していたので、今の若者とさほど変わらないかもしれません。なので、本物のバックパッカーっていうのは1990年代に旅をしていた方が最後なんだろうと思っています」  片手でスマホをいじれば情報を得られる時代になった。カオサンに宿泊せずとも情報は簡単に手に入る。そんな時代に、カオサンで旅行代理店を営むことの意味とは何なのか。 「森田さんから会社の権利を買い取った際、スクンビットなどバンコクの中心部に移転することも視野に入れました。それでもカオサンから移転しなかったのは、カオサンには日本人経営の旅行代理店がうちしかなく、ここへ訪れる旅行者に安心・安全で格安のツアーをご案内していきたいからです」
サワディーアンコールツアー04

「旅人を育てる」という企画を立ち上げている団体に、『サワディーアンコールツアー』は協力会社として手伝っているという

「カオサンにはもうバックパッカーと呼べる旅行者はいません」  そう丸山氏が言ったように、彼が定義するバックパッカーはいなくなり、バンコクへ来る旅行者の多くはスクンビット周辺を宿泊地に選ぶようになった。ピーク時に比べればカオサンから旅行者は減っただろう。  それでもなお、丸山氏は『サワディーアンコールツアー』で旅行者と向かい、カオサンで根を張り続ける。『サワディーアンコールツアー』には日本人スタッフが他にいないため、丸山氏はほぼ毎日事務所に出社。休みはほとんどない。 「長期休暇が取りづらくなかなか家族旅行に行けないこともあり、嫁さんのフラストレーションが爆発寸前でして(笑)。7月の三連休は家族で遊園地でも行ってこようと思っています」  この男は、間違いなく心からカオサンを愛してる。<取材・文/西尾康晴>
2011年よりタイ・バンコク在住。バンコク発の月刊誌『Gダイアリー』元編集長。現在はバンコクで旅行会社TRIPULLや、タイ料理店グルメ情報サイト『激旨!タイ食堂』を運営しながら執筆活動も行っている。Twitter:@nishioyasuharu
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