「るりちゃんに触ってみたい」――46歳のバツイチおじさんはさらに大きな邪念を抱き“もうひとりの俺”と話し合った〈第41話〉
俺は覚悟を決めた。
そして、勇気を振る絞り、そーっとるりちゃんの髪の毛を触ろうとした。
その時だった――。
るり「え?」
俺「え?」
るりちゃんが急に目覚めた。
図らずも、至近距離で見つめ合う格好になってしまった。
るり「ごっつさん何してるんですか?」
俺「…いや、その、ごめん」
るりちゃんは悲しそうな目をした。
そして、慌てて起き上がった。
るり「私、部屋に帰ります」
そう言って起き上がると、るりちゃんは足早に部屋を出た。
部屋を出るときの横顔は少し怒ってるように見えた。
数秒後、るりちゃんの部屋のドアを閉める音が聞こえた。
その音で、俺はふと我に返った。
やってしまった……。
これでもう“ただのお友達”にも戻れない。
“ただのお友達”であれば最後までいい関係で終われたのに……。
俺はうつ伏せでベッドに屈み込んだ。
シーーーーーーーーーーーーーン。
部屋の中に静寂が走った。
そして、激しい後悔が俺を襲った。
「るりちゃんの良い思い出を汚してしまった」
カンニャクマリでジャスミンの花飾りをつけた時のるりちゃんの姿が脳裏に浮かんだ。
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るり「ごっつさん、髪の毛の後ろの部分、お花飾り付けるの手伝ってもらっていいですか?」
俺「え?…いいよ。もちろん」
るり「一度ジャスミンのお花、つけてみたかったんです」
るりちゃんは俺を心から信頼してくれていた。
るり「りー、ガートに行くの楽しみしてたんです」
俺の前で自分のことを『りー』と呼んだ。
本当に俺を信頼してくれていた。
るり「あー、ピーナッツ売ってる~。りーお腹ペコペコ」
1969年大分県生まれ。明治大学卒業後、IVSテレビ制作(株)のADとして日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!」の制作に参加。続いて「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)の立ち上げメンバーとなり、その後フリーのディレクターとして「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)「トリビアの泉」(フジテレビ)をチーフディレクターとして制作。2008年に映像制作会社「株式会社イマジネーション」を創設し、「マツケンサンバⅡ」のブレーン、「学べる!ニュースショー!」(テレビ朝日)「政治家と話そう」(Google)など数々の作品を手掛ける。離婚をきっかけにディレクターを休業し、世界一周に挑戦。その様子を「日刊SPA!」にて連載し人気を博した。現在は、映像制作だけでなく、YouTuber、ラジオ出演など、出演者としても多岐に渡り活動中。Youtubuチャンネル「Enjoy on the Earth 〜地球の遊び方〜」運営中
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仰向けになり、天井のライトの回りにたむろう蚊をボーっと見つめた。
2匹の蚊は何度かライトに突進し、しばらくすると視界から消えた。
俺は起き上がるとベッドの横にあるコーラを手に取り、コップに注ごうとした。
しかし、手がぶるぶると震えて、うまく注げなかった。
「びびってんじゃねーか」
俺は勇気がなく告白さえもできなかった。
告白して振られたほうがどんなに心が晴れ晴れとしただろう。
結局、自分自身の恐怖に打ち勝つことができなかったのだ。
翌日、るりちゃんは南インドを離れハワイへと旅立っていった。
こうして、南インドの旅で出会ったるりちゃんへの恋は終わってしまった。
それから数週間――。
スマホを眺めていると、るりちゃんがインドの思い出をフェイスブックにアップしていた。
そこにはこんなコメントが書かれていた。
『インド旅これでよかったのか?って思ってたけど、帰りの空港で日記を読み返してみるとたくさんの感情があった。インドありがとー!!』
コメントと一緒に一枚の写真が貼られていた。
それは、御来光の時、俺のカメラで撮った写真だった。
写真の中のるりちゃんは、カンニャクマリの御来光を背に笑っていた。
それは俺が大好きになった、あの自然で満面の笑顔だった。
俺はその写真が妙に眩しくて、すぐさまスマホを消した。
しかし、るりちゃんの笑顔が脳裏に焼き付いて、しばらく消えてはくれなかった。
次号予告『寅さんモード全開のバツイチおじさんに明日はあるのか? 傷心の中年よ、どこへ向かう?』を乞うご期待!
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