更新日:2022年10月24日 01:09
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自称リベラルおじさんの矛盾と功罪【鈴木涼美】

【衆院選スペシャル 自称リベラルおじさんの矛盾と功罪】  枝野幸男氏の奮起によって、今回の衆院選ではリベラルという言葉をちょいちょい耳にする機会が増えた。私自身は当然自分を政治的にはリベラルな立場だと考えているものの、リベラルと名のつくものに対して微妙な不信感も持ち合わせている。大体、リベラルという英語が良くない。寛大であるとか気前よく分け与えるという印象が強くて言葉のイメージが良すぎる。そしてリベラルなおじさんは大抵、キャバクラに来ても気前がよくない。おそらくトランプ米大統領の方がよほど気前は良い。  私がやや肌のツヤに衰えを感じだした29歳の新聞記者だった頃、とある講演会で出会ったパコ山さんというおじさんがいた。おじさんと言っても見た目にそれなりの色気が残る40代で、出張帰りなのかただ単に荷物が多い人なのか知らないがリモアの小さいスーツケースをコロコロ言わせて近づいて来て、別に必然性もないのに名刺をよこした。別になんの義理もないが、30歳を手前にして自分の値段暴落前夜だと悲観していた私は、愛想よく自分の名刺も出し、講演会の報告を電話で先輩に伝えたところ、もう一度リモアおじさんが近づいて来て、なぜか彼の車に同乗させてもらえることになった。  その講演会というのがとある首長を支援するとある人権派弁護士のものだったのだが、客席を見渡すと原発反対派の集会とやや人かぶりしているような、まぁ平たくいうと資本家と自民党と既得権益が嫌いで貧乏人やマイノリティの権利にうるさそうな人たちの集まりだった。で、聞けばそのおじさんはバツイチで今は二人目の妻とその妻が生んだ猿のように可愛い赤子と暮らしている。奥さんは出版社の人である。  微妙に辺鄙な池袋から大手町周辺へのフリーライドは嬉しかったし、彼の物事を大変簡単に切って話す口調は明快で、車を降りる頃には私はちょっとした食事の誘いになら乗ってもいいかなという気分になっていた。彼の切り口が鮮やかな時事評論は清々しく、ただ記者会見を原稿にしたり、形だけの朝回りで仕事をした気になったりしていてはつまらない30代になってしまう、と思っていた私には、自分もインテリジェンヌな気分にさせてくれるという意味で心地よかった。まぁ要するに私も若かったのである。  その後も数回食事したり食事したついでにセックスしたりしていたのだが、ある夜、赤坂の中華料理店でとあることから私の修士論文の話になった。ちょうどその頃私は大学院生の時に書いた修士論文を出版する準備が大詰めになっており、それはこのおじさんとの対話と同じように、私を会見室の退屈な毎日から解き放つ可能性のあるものとしてそれなりに期待をしていたのだが、彼は私とはまた違った意味でそれに過度な期待を寄せていた。私の修士論文のタイトルは『「AV女優」の社会学』。もちろん、私がかつてAV嬢だったことに関する壮大な言い訳のような論文である。  彼の主張を悪意を込めて要約すると大体こんな感じである。 「売春の合法化は現代日本が取り組むべき大きな課題である。そのためには当然、売春や周辺産業のスティグマを取り除き、それに従事するものたちが真の意味で市民権を獲得しなければいけないし、それを立派な労働として捉え直す必要がある。現状、もちろん当事者による自助グループや発言の場を持った賢きセックスワーカーが地道に道を切り開きつつあるが、多くのセックスワーカーたちはまだ自分らが置かれた社会的な立場について学ぶ場も、自分らの労働者としての権利を訴える場も持っていない。そこで、自らのセックスワーカーとしての権利を堂々と誇りを持って開示し、かつ社会的にきちんと自分の立ち位置を解説でき、偏見を払拭するほど魅力的で頭の良いロールモデルが必要だ。君がそれになるべきだ。僕も協力するから、売春婦を差別するような古い偏見で頭の凝り固まったおじいさんたちと戦おう!」  半分寝ながら聞いていたものの、戦おうとか言われて嫌な感じに目が覚めた。なぜ私がカメラの前でオシッコしたり親指と人差し指で精子をピヨヨヨーンと伸ばして「あーん美味しそう」とか阿呆丸出して言っていた過去を堂々と誇りをもって開示しなければならないのか。そう言ったことは誰かに、例えば週刊誌に告げ口的な形でバラされるもので、堂々と開き直る類のものではない。何もついている職業によって人権侵害をゆるすべきとは思わないが、自らの背中に向けられる多少の偏見と後ろ指など、若造の分際でどう考えても「立派な労働」以上の価値である日給100万円以上もらった私たちが、付き合っていくべき宿命である。 「いやぁ、それはちょっと。そんな感じでメディア露出したら会社で気まずいし、おばあちゃん泣いちゃうし」 と私がお茶を濁して目の前に運ばれて来た辛いエビに手を伸ばそうとすると、彼はお箸を持ったままの私の手首をぐっと掴み、やや身を乗り出しながらこう言った。 「会社で堂々とAV女優だったと言えないのはどうしてか。おばあさんが悲しむのはどうしてか。それはセックス産業への間違った偏見が社会に蔓延っているからだよね? 確かに今あなたが声を上げることで多少は両親に嫌な思いをさせるかもしれないけど、社会が本当の意味であらゆる女性の職業を受け入れるようになることを思えば、それはほんの小さな傷だよ」  まぁ確かに、私がイバラの道でボロボロになれば後続の傷が多少浅くなる、そんなことはあるかもしれませんね。でも、辛いエビ越しに何度考え直しても、おばあちゃんが孫娘のAVを堂々と近所に自慢して配ったり、新聞社の採用試験のエントリーシートに「バイト歴・ソープとデリと企画ものAV」なんて書く人が続出したり、学校の先生が「アダルトビデオの営業周りでは清楚な服装、淫らな言葉を心がけましょう」なんてアドバイスしてくる世の中は、今のこのゴミみたいな世の中に輪をかけて不健全な気がするし、そんな世界へ道をつなぐために、90歳の祖母に「おばーちゃん、私実は男優のアナル責めてたんだけど、これから一緒に人権のために戦ってね」なんて言う気は毛頭起きなかった。
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目の前の女に対する扱いはクソだった
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’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

おじさんメモリアル

哀しき男たちの欲望とニッポンの20年。巻末に高橋源一郎氏との対談を収録


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