名護市長選がひっくり返ったワケ――当初はトリプルスコアで基地反対派が優勢だった
今月4日午後10時28分、NHKが名護市長選挙で当確を伝えるテロップを流すと、敗北が決まった現職の稲嶺進氏(72)とその隣に座っていた翁長雄志知事(67)は揃って顔を強張らせ、凍りついたかのように身動きもしなかった。
翁長知事と二人三脚で米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対してきた稲嶺氏が自民党や公明党が支援する渡具知武豊氏(56)に敗北した。ショックがあまりに大きかったのか、茫然自失としてマスコミ各社のインタビューに言葉がなかなか出てこない稲嶺氏。それに対し、カメラのフラッシュの放列のなか、渡具知氏は選挙活動を支えた高校生の娘から花束を笑顔で受け取った。あまりに違う両者の姿に見入っていると、「この数年の沖縄の選挙で一番やきもきしただけに、本当にほっとした」と防衛省幹部が電話をしてきた。
安堵する政府関係者の率直な声を聞いていると、普天間問題をめぐる激しい対立の構図に重大な変化が起きているのではないかと思えてきた。
名護市長選の取材では、1月28日の告示前からたびたび現地に入った。人口6万人あまりの大きくはない街だが、市長選挙のたびに全国の関心が集まる。かつては「沖縄は選挙違反特区」と沖縄選出の国会議員が言っていたように、4年前の前回選挙では市内の至るところにポスターや幟があった。ところが、今回はすべて一掃。“なんでもあり”だったはずの選挙戦が、一見するとこれまでの選挙よりも盛り上がりに欠けているのではないかと思うほどだった。聞けば、沖縄県警から厳しい指導があったようだ。
派手な選挙戦がなりを潜める一方で、水面下では両陣営の激しい選挙戦が展開されていた。とりわけ自民党は総力戦ともいえるほどの体制で臨んだ。菅義偉官房長官が昨年末に名護に入り、二階俊博幹事長も企業団体まわりをするなど大物が続々と入り、党本部の職員が選対を支えた。
告示後には手が空いている国会議員全員に応援に入るよう指示が出て、100人を超える議員が沖縄入りしたため、そのロジ(後方支援)の面倒に選対が忙殺されないようにと、それぞれ沖縄県内での移動手段の確保やアポ取りなどを自己完結で行うようにとされたほどだ。それぞれの議員は建設、運送、自動車整備など得意とする業界を小まめに回り、渡具知支持を呼びかけた。
人気の小泉進次郎筆頭副幹事長はわずか一週間の選挙期間中に二度も名護に入った。二度目は投票日前日。渋る小泉進次郎氏を自民党幹部が入れ替わり説得して実現させた。東京からの飛行機と那覇空港から名護市内までの車での移動で、合わせて4時間かけて再応援に入り、15分ほどの演説で東京にトンボ帰りしたが、その効果は絶大。応援演説会場周辺には2000人を超える市民が集まり、大渋滞となっていた。
自民党と並んで際立ったのは、公明党と支持母体の創価学会の動き。公明党沖縄県本部は党本部とは異なり、辺野古移設に反対の立場を取っているため、前回や前々回の市長選挙では、自主投票という形で事実上の稲嶺氏支持に回っていたが、今回は菅官房長官が自ら公明党の支持母体の創価学会に掛け合って支持を依頼。公明党沖縄県本部が自民党沖縄県連と在沖米海兵隊の県外、国外移設を政策に盛り込むことで合意し、渡具知氏を推薦することを決めた。
告示日前には創価学会の原田稔会長が名護でテコ入れしたばかりか、創価学会の「政治担当」とされる佐藤浩副会長が沖縄に常駐し陣頭指揮した。選対関係者の会議では、たびたび自民党の戦いぶりが生ぬるいと噛みつき、業界団体にもっと動くよう口出ししたため、「組織の文化が違う」「我々は一般市民。職業軍人のように動けと言われても」とこぼす経営者もいたほどだ。
自民党は、名護市内に1000票を超える票を持つとされる維新の党とも選挙協力を進め、選対幹部が「これで勝てなかったら、どうやっても勝てない」というほどだった。
昨年8月に地元の自民党県議らが中心となって渡具知氏を市長選の候補者として動き出した時点では、自民党が実施した電話調査で現職の稲嶺氏にトリプルスコアの差をつけられていたため、沖縄対応を一手に取り仕切る菅官房長官が候補者の差し替えを強く指示するほどだった。当初、自民党沖縄県連にとってはいかに負け幅を小さくするかが課題で、勝てると思っていた関係者は誰もいなかったのではないか。
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