“スーパースター”ビリー・グラハム 1970年代を代表する筋肉スーパースター――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第45話>
ハルク・ホーガン、ジェシー・ベンチュラ、ロード・ウォリアーズらに代表される1980年代スタイルの“筋肉マン”のモチーフとなったレスラーである。
いわゆるボディービルダー・タイプの全身の筋肉、1970年代ファッションのタイダイ(絞り染)のロングタイツ、ヒザ下までの長いリングシューズ、カラフルでサイケデリックなリング・コスチューム、リング上でのポージング、そして人間ばなれした怪力殺法で一世を風びした。
ハイスクール時代はフットボールと陸上競技(砲丸投げ)で活躍し、アマチュアのボディービルダーとしては“ミスター・ティーンエイジ・アメリカ”コンテストに優勝。
18歳のときにすでに上腕23インチ(58センチ)、胸囲56インチ(142センチ)という体をつくっていた。
プロフットボールではNFLのヒューストン・オイラーズ、オークランド・レイダーズのプラクティス・スクワッド(リザーブ)に3シーズン在籍後、CFLのカルガリー・スタンピーダース、モントリオール・オーレッツで活躍した。
1969年冬、スタンピーダース時代のチームメートで、オフ・シーズンはプロレスラーとして活動していたボブ・ルイックBob Lueckの誘いでカルガリーのスチュー・ハート家を訪ねたのがプロレスとの出逢いだった。
いったんホームタウンのアリゾナ州フェニックスに帰ったグラハムは、ハート家の地下道場=ダンジェンで本格的にレスリングのトレーニングを受けるため、フェニックスから4日間ドライブしてカナディアン・ロッキーのふもとの町カルガリーへ向かった。
フェニックスは平均気温40度の砂漠の盆地で、カルガリーは氷点下40度の雪国である。スチューがフットボール・プレーヤーくずれのグラハムを気に入ったのは、グラハムが600(約272キロ)のベンチプレスをかんたんにクリアしてしまう怪力の持ち主だったからだ。
スチューはグラハムとの初対面のシーンを「600ポンドのベンチプレスを上げた男」として記憶し、グラハム自身は「あのときはたしか550ポンド(約250キロ)くらいだった」とそのときの様子をふり返る。
当時のベンチプレスの世界記録は617ポンドだから、グラハムの怪力が重量挙げの世界ランカー並みだったことはたしかなのだろう。
グラハムはそれから数年後、カリフォルニア州ベニスビーチの“ゴールド・ジム”であのアーノルド・シュワルツェネッガーといっしょにトレーニング中に585ポンド(約265キロ)のベンチプレスをクリアした。
カルガリーでの伝説のトレーニング・セッションは、54歳のスチューが26歳のグラハムをフロント・ヘッドロックで絞めあげることからはじまった。
ほんのあいさつ代わりのサブミッションだった。グラハムはその激痛に飛び上がったという。ダンジェンでの特訓は約1カ月間つづき、それからアリーナのリングの上での練習がはじまった。
すぐにでもリングに上がれそうな体つきをしていたからデビューは早かった。カルガリーでは本名のウェイン・コールマンのまま数試合だけおこなった。
カルガリーでの修行を終えてフェニックスに帰ったグラハムは、ナイトクラブのバインサー(用心棒)の仕事をしていたときに“ドクター”ジェリー・グラハムDr.Jerry Grahamと再会した。
ジェリーは1950年代から1960年代前半にかけてニューヨークで大活躍したヒールのタッグチーム、ジェリーとエディと“クレイジー”ルークのグラハム3兄弟の長男で、催眠術で相手を眠らせてしまう反則技を得意としていたことから“ドクター”というニックネームがつけられた。
ほんとうに催眠術が使えたかどうかははっきりしない。グラハム3兄弟は血縁関係のない、いわゆるレスリング・ブラザースだった。
ジェリーとグラハムとは旧知の仲といえば旧知の仲で、ある日、泥酔したジェリーをバウンサーのグラハムがナイトクラブの店内から追い出したことがあった。
グラハムが「オレもレスラーになったんだぜ。カルガリーのスチュー・ハート先生から習ったんだ」と告げると、ジェリーは「じゃあ、オレの弟になってくれよ」と提案した。
こうしてグラハムはグラハム兄弟の末っ子、ビリー・グラハムに変身した。ビリーというファーストネームは、グラハムが尊敬するキリスト教のビリー・グラハム大司教から拝借した。
“スーパースター”の部分は、ブロードウェイ・ミュージカルの大ヒット作でのちに映画にもなった『ジーザス・クライスト・スーパースター』からアダプトしたものだった。
大ベテランのジェリーとルーキーのビリーの新グラハム兄弟は仕事を求めて西海岸エリアに向かったが、ロサンゼルスの大プロモーターのマイク・ラベールはジェリーには興味を示さず、新人のグラハムだけを試合にブッキングした。
ジェリーはアルコール依存症だった。ブッカーのチャーリー・モトは、キャリアは浅いけれど将来性のあるグラハムを人気マーケットのサンフランシスコ(ロイ・シャイアー派)に送り込んだ。
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