エンタメ

デビュー当時の斉藤和義がミスチルとの間に感じた“差”とは? “ラジオ中毒ライター”村橋ゴローの「アナタの代わりにラジオ聞いときました〈第6回〉」

“ラジオ中毒ライター”村橋ゴローが、ラジオでの芸能人の気になる発言をピックアップ!

村橋ゴローの「アナタの代わりにラジオ聞いときました」 妻がいようが子どもが「遊んで!」とせがんでこようが、1日中イヤホンをしてラジオを聞いている家庭内ラジオ別居状態のライター・村橋ゴローです。さて、RCCの『ごぜん様さま』のパーソナリティー・横山さんがツイッターで取り上げてくださったり、ニッポン放送の『いいかげんに1000回』では読み上げられ、かのアッコさんに「嬉しいですね~」とリアクションいただいたりと、ナメクジがダッシュするスピードで、じんわりとラジオ業界に浸透中(?)の本連載。今週も、アナタの代わりにラジオ聞いときました!

山本晋也「(大空襲も)子どもにとっては別に怖くなかったね」

『伊集院光とらじおと』(3月19日O.A./TBSラジオ)

 この日のトークゲストは、映画監督の山本晋也さん。アラフォー世代にとっては『トゥナイト』の“カントク”としておなじみだが、生まれは昭和14年。番組では幼少期に体験した戦争の話になるのだが、そのリアルな感覚が、実に興味深いものでした。

山本「当時は小学一年生。焼夷弾で近所の人は火だるまになって、暴れて死んで。でも(そんな地獄絵図も)子どもにとっちゃ、別に怖くはなかったね」

伊集院「どうして?」

山本「日常なんだよね。あんななかでも走り回って遊んでるんだよね、子どもって。それに(大変な状況のなかで)子どものことなんか誰も考えてくれなかったから、自由だった」

 さらに印象的なエピソードは続く。

山本「バケツ持って隅田川行って、魚獲ってたからね。そうしたら川で死んだ赤ちゃんのちゃんちゃんこが流れてきたから、『邪魔だなあ』ってどかして。いま考えたらとんでもないことだけど、当時はそれが悲しいとか、悲惨だとか、世界がどうとか、考えてなかったなあ」

伊集院「昭和42年生まれの僕からしたら、その光景は“映画館のお客さん”視点なわけで。その画を観たら僕らはきっと『悲しい画だな』って思うけど、当事者からすれば『魚を獲りに行ったら足に何か絡みついて、見たらちゃんちゃんこだった。邪魔だなぁ』ってだけの話なんですね。その情景自体がもう映画ですよ。(切り取り方が)当時から映画監督ですよ」

 第三者からすれば壮絶すぎると感じてしまう状況を、あっけらかんと話す当事者のカントク。そこからトークは戦時中の話から“未亡人”の話へ。カントクといえば、ポルノ映画『未亡人下宿』シリーズだが……?

山本「当時ね、未亡人の方の家はね、表札の横に“未亡人のお宅”って記されていたのよ」

伊集院「ええっ!? そうなんですか! でも今の基準で考えると、ひどい言葉じゃないですか、未亡人って。旦那が戦争で亡くなったのに未だ亡くならず、みたいなニュアンスで」

山本「だから、あそこの未亡人さんは旦那がお国のために戦ったんだからって、町内や近所の人が面倒みてあげましょうという風習があったの」

 そこから時代は徐々に豊かになり、未亡人は“エロ”の題材に。

山本「平和になってきたら、『未亡人下宿 表も貸します、裏も貸します』なんて映画を僕も撮るようになってね(笑)」

 戦中・戦後のエピソードにも驚いたが、「戦争」「未亡人」「ポルノ」をひとつの地続きで語れるのはきっと山本晋也カントクだけでしょう。実際にすべてを経験した当事者にしか許されない“強さ”を感じたトークでした。

斉藤和義「(ミスチルとは)きっとこういうところに差があったんだろうなって」

『よなよな』3月20日O.A./ABCラジオ)

村橋ゴローの「アナタの代わりにラジオ聞いときました」

ABCラジオ公式ページより

 近畿圏をカバーするABCラジオで、月曜から木曜まで日替わりパーソナリティによって放送されているこの番組。サブカル、そして’90年代カルチャーに強いことで知られているのですが、この日のゲストはミュージシャンの斉藤和義さん。インタビューで、デビュー当時の和義さん“らしい”エピソードが。

斉藤「’93年ごろ、デビューしてすぐにどこかのイベントでミスチル(Mr.Children)と一緒になったんですよ。でも正直、そのときミスチルのこと知らなくて。でも桜井くんとか、イベントではまあ凄い人気で。そのあと打ち上げで飲みに行って、その店にギターがあったので、みんなで歌ったりしてたんですよ」

 ’93年のミスチルといえば、「CROSS ROAD」のロングヒットで徐々に人気を博し始めた頃。’94年リリースの「innocent world」で初のミリオン、オリコン1位を達成する前年の、“大ブレイク前夜”のことです。

斉藤「そのとき彼は、惜しげもなく(自分たちの楽曲)『CROSS ROAD』を歌ってめちゃくちゃ盛り上がってました。俺も『君の顔が好きだ』っていう自分の歌を歌ったんですけど、そこの飲み屋のママさんに向けて、『君の乳首が好きだ、アソコが好きだ』に歌詞を替えて歌って。(翌年ブレイクを果たしたミスチルとは)きっとこういうとこに差があったんだろうなって(笑)」

 今でこそシンガーソングライターとして確固たる地位を築いている斉藤和義さんですが、全国的に脚光を浴びたのはこのミスチルとの邂逅から15年後の’08年。そんな“遅咲きのシンガー”のデビュー当時の貴重なエピソードでした。

次のページ 
CHEMISTRYの堂珍の痛烈な自虐!

1
2





おすすめ記事