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保育園のパパ会はやっぱり地獄なのか? サイゼリヤでの飲み会に初参加した結果…

 つくづく、人生のフィールドを進める行為というのは、自由を失うことと同義なのかもしれないと思う。    2年半ほど前、双子の女児を授かって父親になった。夜泣きがダブルで襲ってくる0歳児の時代は慢性的に睡眠不足で遊ぶ元気など出るはずもない。  その後、保活最激戦区の1歳児入園を果たしホッとしたのもつかの間、毎日の朝仕度と保育園の送りはもちろん、出社した途端に「嘔吐しました、迎えにきてください」「お熱が37.5℃を超えました。迎えにきてください」と、片道1時間の家と会社のピストン移動を余儀なくされる。  朝の検温時、「(36度台で)止まれ、止まってくれ」と祈るような思いで体温計を見つめるのは習慣となってしまった。

育児は嫌いではないが…幸せ2割、忍耐8割

 育児が嫌いなわけではない。仕事も体力も伸びしろのない40オヤジにとって、「寝返りした!」「ハイハイした!!」「あんよができた!!!」「パパって言った!!!!」と、加速度的に成長していく愛娘の姿を目の当たりにすることは、家庭内奴隷労働の極北である育児が、まばゆいばかりの輝きを見せる瞬間である。  しかし、その幸福度は育児全体の2割程度。残りの8割は、例えるなら、寡黙でキレやすい兄貴分(娘)の相手を、四六時中させられる舎弟(親)といったところだ。  食事中、バンバンッと不機嫌そうに机を叩く兄貴分(娘)。「どうしたんでっか? お腹、空いてないんでっか?」と恭しく問いかけても、ブスッと無言のまま。そのうち「オラーっ」と食事を床に放り投げ、牛乳がなみなみと入ったマグナム(マグカップ)をテレビ画面に向けて撃ち放つ。  珍しく部屋の隅っこでおとなしく遊ぶ兄貴分(娘)。「今日は兄貴、機嫌がよろしいでんな。ええこっちゃ」と、たまったLINEの未読メッセージに返信していると、積み木のオモチャを嬉々としてトイレまで運んで便器の中に落とし続けるーーというゲームに興じる娘の姿に気づく。  一時が万事、この調子なのである。そんな日常を送るなか、ふと覗いたSNSで「行きたい場所がオフィスに。同じ仕事を同じ場所でするなんて効率が悪いと思いませんか?」と、リゾート地でMacbookを広げるインフルエンサーの自撮り動画や、「ママの楽しいが息子の幸せ。今年21か国目の親子旅行の訪問地はフィジーです」と、多額の慰謝料で悠々自適の人生を送っている(であろう)水着姿のマダムの動画を見せつけられると、「今この瞬間……動画のなかで地割れが起きて穴に落っこちねーかな」と、不謹慎な想像をしてしまうわけである。

娘が2歳を超えて、怨念のレベルも下がってきた

 さて。“寡黙でキレやすい兄貴分”だった1歳児も、2歳を超えた頃から“かわいい酔っ払い”の様相を呈してくる。「みてみてぇ~」と嬌声をあげながらローテーブルの上でダンスを披露し始めたり、「どうぞ」と、おもちゃの食材の乗ったお皿を差し出してくるので、「ありがとー」とお皿をもらおうとすると、「ダメぇ~」と差し出したお皿を奪う、謎のツンデレ遊びを始めてくる。かわいい。かわいいよ、この酔っ払い。  手がかかるはかかるのだが、曲がりなりにも人対人のコミュニケーションが取れるようになってくると、殺伐とした心にも余裕が生まれてくる。1歳児の頃と比べても、呼び出しがかかってお迎えに行くケースはグッと減った。件のインフルエンサーの自撮り動画を見ても、「まあ、水にあたって腹くだすぐらいでいいよ」と、怨念のレベルも下がってくる次第だ。そして、それは我が家に限らないのだろう。  2歳児クラスに進級した後、ある変化が起きた。
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ついにきた!パパ会のお誘い
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