日本は東京オリンピックで金メダルを取らなくていい…トラブル続きのスポーツ界が変わるためには
前回、スポーツ界のスキャンダルの元凶を「勝利至上主義と根性論」と指摘したスポーツライターの小林信也氏。このまま報道が過熱すれば、レジェンドたちの栄光が軒並み失墜すると危惧するがゆえに、2020年東京オリンピックに向けた秘策を提言する。それはなんと「金メダルは取らなくていい」というものだ。
「まず、いまやスポーツ界のスキャンダル報道は何でもありで、どこかで収束を図らねばなりません。例えば、8月にスポーツ報知がスクープした水球女子日本代表監督のパワハラ問題は、とある別の指導者が情報源と見られていますが、その告発側の方が競技者の間ではよほどパワハラで有名だった。このように虚々実々のスクープ合戦に、これ以上の意味はないでしょう。本当にスポーツ界の体質を根底から改善するには、明確なルールと組織作りこそが求められます。そのためには、メディアに冷静さを取り戻させるためにも、スポーツ庁長官である鈴木大地氏が大号令を掛けるしかない。法整備と組織改革を最優先事項とし、スポーツ界全体で体質改善に取り組むと表明する。もちろん、この大号令によって現場がある程度停滞し、金メダルへ向かって一致団結してまい進できなくなるリスクもあります。しかし、どこかで手をつけなければ、延々と歴史が繰り返すことになるのです」
特定の個人をパワハラで叩く横で「金メダルを取れ」とプレッシャーをかけ続ければ、スポーツ界の体質は何一つ変わらないと小林氏。
「そもそも“おもてなし”が東京オリンピックのテーマなのですから、他国の選手が金メダルを取っても、拍手で讃えればいいではありませんか。スポーツには、勝者がいれば必ず敗者もいる。『勝たなくては意味がない』というのは、戦後連綿と続く『勝利至上主義』によって歪められたスポーツ観に過ぎません。今回は金メダルが取れなくてもいいと許容し、体質改善を最優先する。その結果、日本のスポーツ界全体がより良いものになれば、金メダル以上の価値があるのではないでしょうか」
もちろん、選手はベストを尽くすはずだ。だが、結果はどうあれ、自国開催で過熱するメディアや社会全体が「金メダルを取れなかったら意味がない」という姿勢を取ることこそ、自戒すべきだろう。
さらに小林氏は、体質改善のひとつのポイントとして「独自の事業収益を持つこと」を提唱する。
「敗戦のルサンチマンを引き受ける形である種の公器となったスポーツ界には、長らく『スポーツで稼いではいけない。清廉潔白でなくではならない』という身勝手な認識が押し付けられてきました。その結果、スキャンダルで辞任したボクシング連盟の山根元会長などは、ほぼ無給で運営に携わっていた。しかし、このような場合、霞を食べて生きているわけではありませんから、別の形で利益を得るか、名誉や権力という形で対価を得ようとするのは当たり前の話です。だからこそ、スポーツに携わる人間が労力に対して正当な報酬を手にできるよう、プロフェッショナルな運営が不可欠となるのです」
現状、スポーツビジネスに関しては「勝ってなんぼ」「スターを作ってなんぼ」とそろばんを弾く門外漢の代理店やメディアが牛耳る体制にも問題があると指摘。
「もっと現場を知る競技経験者からビジネスをサポートする側に回る人間が出てこなければなりません。そして、さらに重要なのは、スポーツとは公共事業ではなく一種の表現活動であると社会が認識することです。特殊な才能を持った人間が、その才能によって対価を受け取る。ある種のアーティストであり、スポーツに過度の公益性を求めないことです。この公益性を求める意識は、サッカーのユース指導者が有償であるのに対し、より巨大な市場を持つはずのプロ野球のユース、つまりシニアや高校野球の監督の多くが無償であることにも象徴されています」
昨今のスキャンダルが社会に示唆する問題は、単純なハラスメントを論じるだけでは到底解決には至らない。東京オリンピックは日本のスポーツ界にとって興行的な意味合いを超えて、歴史的な岐路となるのかもしれない。
<取材・文/日刊SPA!取材班>
【小林信也氏】
スポーツライター。新潟県立長岡高等学校で高校野球に打ち込み、慶應義塾大学法学部卒。
「Sports Graphic Number」(文藝春秋社)の編集部を経て、スポーツライターとして独立。著書に『「野球」の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』(集英社)など
スポーツは公共事業ではなく「表現活動」
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