54歳にして発達障害だと診断された男の苦悩「なぜもっと早く気づけなかったんだろう」
反対に得意だったのは、ビルの清掃のアルバイトだった。あらかじめ決められた時間で特定の範囲内の清掃を任されれば、自分のペースで黙々と業務にあたって誰よりも綺麗にして見せ、よく褒められた。
発達障害の可能性に気づいたきっかけは、間近で石山さんの仕事の様子を見てきた新聞配達事務所の先輩の一言だったそうだ。「石山さん、俺の嫁と似てるとこあるかも」。先輩の妻は、発達障害の当事者だったのだ。
当時の主治医に発達障害の可能性を伝えても取り合ってもらえなかったが、かねてから先輩に指摘を受けていた石山さんは、9月に父を看取ったことを契機に転院に踏み切り、診察を受けることとなった。以前は「帰ったら死んでいるのではないか」と考えてしまい遠出できなかったため、やむを得ず家の近くの精神科に通っていたが、家に待つ人がいなくなり、少々遠くとも発達障害に強い精神科へとたどり着くことができたのだ。
診察は、問診票を提出した後、その日最後の診察枠を用意され、小一時間かけて入念に話を聞かれた。約10回の転職経験や、直近の仕事で生じていた困難さなどを石山さんが伝えると、珍しい例ではあるが、発達障害の診断は初回の診察のうちに出され、またアダルト・チルドレンの傾向も指摘された。
「半分は、発達障害ではないと言われたかった」という石山さん。過去のさまざまな経験が思い出され、帰り道で涙が止まらなくなってしまったのだった。
現在、石山さんは障害の受容もままならない中で実家の整理に追われている。介護のためにアルバイトを辞め、父の年金もなくなった今、収入はゼロだ。役所では、診断を受ける前にはいつも「働きましょう」と促されてしまいほとんど支援を受けられなかったが、診断を受けた現在、担当課が移され、「しばらく休みましょう」と言われている。今後は生活保護の申請をする予定だ。障害者手帳や障害年金の申請も検討しているが、手続きのためには最初に訪れた精神科に連絡を取らなければならない。弱っているときに怒鳴られたトラウマが思い出され、連絡を尻込みしてしまう。
探し求めてきたものは、「発達障害」だったのかもしれない。「何か」に手を掴みかけている石山さんは今、過去のさまざまな努力を「合わない薬を飲み続けているような感じだった」と振り返る。今、率直に感じるのは「何もかも失ってから発達障害と言われても困る」という思いであり、また一方では「介護はやりきった思いだが、金があればもっと適切な医療をつけてやれた」と父の最期への後悔も口にする。
最近の趣味はYouTubeで音楽を聴くことである。日本語の歌詞は、脳の特性上ことばの意味を拾いすぎてしまうため、Eaglesなどの洋楽を好む。
過去へのやりきれなさを抱えながら、石山さんはこれからも生きていく。
<取材・文・写真/えんどうこうた(@kotart90)>
主治医を変えて再診、発達障害だった
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