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「ピンチのときこそ飛躍のチャンス」歌舞伎町女社長の教え

 こんにちは、内野彩華(うちのあやか)です。  新宿・歌舞伎町にキャバクラを4店舗経営する歌舞伎町の女社長。そんな私が野心の大切さを説く、この連載。第40回は「飛躍のきっかけ」がテーマです。
歌舞伎町

写真/Kakidai CC BY 4.0

 私のお店「アップス」をはじめたときは、不動産屋さんに連絡して店舗を借り、保健所や警察に届け出を出してたものの、会社の作り方も、税金がいくらかかるかも全く知りませんでした。  お店がオープンしてからお客様が「この店は会社なの?」「税理士はいるの?」と聞いてくれたことをきっかけに、会社を設立し、税理士を雇うことことができました。  今回は、うちの店が飛躍したきっかけについてお話をしたいと思います。

「なぜ忙しいのか」考える時間すらなかったオープン当初

 お店をはじめた頃は、私を含めキャバ嬢が8人程度、黒服が3人程度でした。  お客様は、ほぼ私が以前働いていたお店からの方々だったので、私は毎日同伴とアフターなど日々の営業活動に明け暮れていました。  お客様と同伴で出勤しても、店には入ると接客が忙しいので、なるべく同伴の時間に話を済ませるようにし、店では新規の方々の挨拶をしていました。同伴でも店でもあまりしゃべれなかった既存のお客様とは、アフターで時間を使い、フォローするようにしていました。  休みの日もゴルフに行って、全ての日の大半を営業活動に割いていたので、忙しすぎてなにかを考えたりする余裕も時間もありませんでした。  そういうわけで「なぜ私ばかりが忙しいのか」ということについて深く考えることもなく、ほとんど寝る時間がないまま働き通しで約5年が過ぎました。

優秀な黒服がやめる!最大のピンチ発生

 30歳になった時、私にとって最大のピンチが起こりました。  店の黒服の幹部同士が店の方針についてよくケンカをしていたのは知っていたのですが、1年たっても溝は埋まらず、2人しかいなかったうち”能力のある”黒服のほうがやめてしまったのです。  残った黒服の筆頭Aくんは、5年間、店にいてくれたから愛着があるものの、ほとんど客引きメインの仕事しかしたことがなくフロアのことは全くわかりませんでした。  Aくんともう一度、私のお店「アップス」を立て直そうと話をしたものの、私もAくんも営業まわりのことしか分からず、カードを切ったり領収書を書いたりするのすら毎日、ひと苦労でした。
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5年いても知らなかった「スカウト会社」本当の評価
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