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「自分磨き」や「自己啓発」はどこまで熱中すべきか?

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第131回 信じる「自己啓発は宗教だ」という馬鹿げた指摘がある。たとえば誰かが自己啓発のセミナーに何万円もお金を出して参加していると、「それって宗教じゃん。騙されてるよ」という話になる。  こうした指摘は自己啓発に限らず、「誰かが誰かに熱中している光景全般」に対して行われる。「こうすればお金を稼げる」というビジネスセミナー、アイドルグループのライブ、アニメのイベントなどがその対象だ。 「宗教」というレッテルには、熱中している人間の熱を冷まそうとする意図がある。誰も頼んでいないのに、そういうことをしてくる人間はどこにでもいる。しかし、自分が熱中したいと思っている時に、その熱を冷まそうとする話に耳を貸す必要はない。  そもそも宗教は生活や文化に深く根づいている。キリスト教なら二千年、仏教なら二千五百年の歴史があるのだから当然だ。  日曜日が休日なのは、キリスト教で神が6日で世界を作り、7日目に休んだとされているからだ。他にもスポーツやゲームの優れたテクニックを「神技」と呼んだり、アニメの舞台になった土地を旅行することを「聖地巡礼」と呼んだりするのは、「神を信じているかどうか」とは関係なく、宗教の影響を受けていることを意味する。  だからこそ個人の興味関心に「宗教」というレッテルを貼るのは、生活や文化という自分の足元が見えていないが故に浅はかなのだ。もし「宗教的」という理由で批判するのなら、人気が集まるもののほとんどが、その批判の対象になるだろう。 「自己啓発は宗教」という指摘に限らず、どんなことでもレッテルを貼っていると生産的な話にならない。政治の世界で相手のやることなすことに、「ナチス」というレッテルを貼るのと一緒だ。人はついそういう口撃を選択してしまう。だから、そういった話に関わらないで済むように、心理的な防衛が必要なのだ。
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熱くなりすぎて後悔する場合も…
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