更新日:2020年05月20日 11:12
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絆と謝罪とマスク二枚。ヤケクソのような現実に今はしっかり絶望するときだ/鈴木涼美

日出る処のペテン師/鈴木涼美

歌舞伎町 先週、長らく休業していた歌舞伎町の知り合いの飲み屋が「緊急事態宣言の延長の方針を受けて」営業を再開した。聞けば「延長されればどちらにせよ無視することになるから」正式決定を待たずに自己判断に切り替えたという。大手ホストクラブが先月の終わりに営業再開をしたおかげで、まばらではあるが街に人が戻ってきているそうで、外出制限が段階的に解除された韓国やドイツなどの光景が、日本の歓楽街でも断片的に目撃されそうだ。  ただ、全く違うのは、それが国の方針に基づいた生活正常化への希望を示唆するものでなく、国の方針を無視した絶望を示唆している点で、営業再開の3日後、首相は記者会見で予定どおり緊急事態宣言を今月末まで延長し、引き続きの外出自粛を促した。  返済義務のない即時支援、芸術家への一括給付金、子育て家庭への給与補填、雇用維持のための賃金補償、など各国の具体的な経済支援策と実質的な配布状況が報道されるなか、我が国のトップが不安や恐怖に打ち勝つために、布マスク二枚に続いて注目した特効薬は「人と人との絆の力」だった。  与えられるのが「絆の力」ならば、求められているのはどうやら「謝罪」だ。野党は政府に謝罪を求め、大臣は市長に謝罪を求め、ツイッターの大衆は専門家会議に謝罪を求め、貧困支援者は不謹慎発言をした芸人にやはり謝罪を求める。絶望する理由を数えれば十分すぎるほど揃っているし、絆と謝罪とマスク二枚を両手に、ほとんどヤケクソのような自己判断をする市民が増えても不思議はない。  不測の事態を生きていることは確かだが、これは本当に予見しえなかったのだろうか、とも思う。不適切な統計に忖度での決定、資料の破棄、隣国トラブル、考える時間は少なくとも7年と少しあった。悪口を言いながらも、代案を示すほどにも向き合っていなかったそれは、あらゆる幸運が重なって与えられた戦後つかのまの豊かさとその名残の中で忘却された、何が国を形作るのかという基本的な思考である。そしてその忘却が絶望に変わるのは一瞬だった。  スマホから簡単にあらゆる食料品が注文できて、すべての配信サービスとTSUTAYAディスカスに入っていれば観たいと思いつく映画の多くは自宅で観られるし、リージョンフリーのプレーヤーがあれば米Amazonからも取り寄せできる。本は何十冊でも気軽に郵送で購入でき、海外のウェブサイトで服飾品の通販もできるし、世界標準のSNSや検索エンジンも使えて電気もガスも通常どおり使える。仕事を言い訳に先延ばしにしていた趣味に手をつけ、すれ違いが多い家族とそばにいられる。  ペスト流行時の描写がある小説や映画を思い起こしながら、絶望する理由とせめて同じ数だけの、絶望しない理由を数えるくらいしか、現時点の日常を生き抜く方法が思いつかない。しかしいまだに残る豊かさの欠片を拾い集めると、恐ろしいことに再び何かを忘却しながらのっぺりした日常にいることに気づく。今はむしろ、しっかり絶望する機会なのかもしれない。 ※週刊SPA!5月12日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

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