更新日:2020年07月05日 20:36
お金

パチンコ屋のトイレに神様はいる?感謝の1000円打ちを続けた結果

地方の富裕層から都会で貧乏若者になるまで

 もう貧困生活も8年目を迎えようとしている。  僕は去年まで約5年間サラリーマンだったが、その時も常に金がなく、半年に一回のペースでカジノに行っては散財してを繰り返していた。客観的に見て人生が破滅してるように見えるのも理解してはいるが、僕の中でカジノは愛すべき「慣れた非日常空間」なので今後も現金が貯まれば行くだろう。  18歳までは名家の庇護の元、田舎で考えられる最高水準の教育を受けてきた。塾も習い事も好きなだけ通わせてもらったし、金の話をされたこともなく、上京するまでアルバイトを経験したことすらない。親から受けた教育の過程で、自覚なく身についた教養と道徳を無自覚に奮い、そつなく夢に向かって歩んでいくものだと思い込んでいた。  田舎で奔放に好きなことを好きなだけやった僕は、24時間剥き出しになった東京の刺激に骨抜きにされ、1年と経たずに堕落することになる。管理されなくなって本当の自分が露呈してしまった、が正しい言い方かもしれない。  大学を3ヶ月で辞め、実家の逆鱗に触れて親名義で借りていた部屋の契約を切られ、たまに友達の家に転がり込み、工事現場でその日をしのぎ、パチスロで金を作り、予備校の講師の影響で好きになった京都に引っ越した。朝は寺巡りを楽しみ、昼を過ぎてからはパチンコを打つ毎日を送り、金がなくなればまた日雇いの仕事を探して金を作った。  本来、人は学習する生き物なのでこの過程で、 「貧乏は忙しくて嫌だな」  と思い立ち、一念発起して頑張るところなのだろうが、僕にその機会が訪れることはなかった。3ヶ月ほど働いて得たお金で1ヶ月好きに暮らし、また職場を変える生活を気に入ってしまっていた。  貧乏は大変だ、という気持ちよりも、行き当たりばったりの生活でもなんとかなる、という気持ちの方が強かったのだ。  そして東京に戻って一つの職場に落ち着き、仕事に出てさえいれば決まった金を受け取り続ける環境にいること5年。「なんとかなる自分」は完全に死んでいた。それまで3ヶ月働いて1ヶ月自由な生活をしてきたのだから、5年働いてしまった以上、1年半は自由に生活できなければ「元」が取れない。  この年齢になってもそんな考え方が変わらないのは、責任から逃げ続けてきた産物なのかもしれない。  僕は、26歳になった今でも丸裸のままだ。守るべき人もいなければ果たすべき約束もない。  高校を卒業して親元を離れ、馬に与えられる人参のように目の前に理想をぶら下げる相手もいない、まるで大学3年生のように緩慢な自由を、ずっと大事に抱えている。実態は極貧だけど自分ではそう思っていないかのような錯覚に陥っているので、節約もしないし携帯を解約したりもしない。(海外で一度だけ気の迷いで質に入れてしまったことはあるが)  そもそも携帯は現代において、困窮していればしているほど手放すわけにはいかない必須アイテムだ。白いタンクトップを着て扇風機もない四畳半の部屋でジッとしている……なんてステレオタイプの貧乏人は現代にほとんどいない。普通の顔をして社会にある程度溶け込んでいる。
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何もしてないからこそギャンブルやるんだよ
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フィリピンのカジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitter、noteでカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。 Twitter→@slave_of_girls note→ギャンブル依存症 Youtube→賭博狂の詩

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