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ビートたけしは「あれでベンツに乗れるんだ」と思って漫才を始めた

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第199回 お笑い ビートたけしは芸人になって漫才を始めるまで、ビルの解体、羽田空港の荷役、スーパーの実演販売、ジャズ喫茶のボーイなど、いろいろなアルバイトを転々としていました。この頃について、彼は『間抜けの構造』(新潮社)で、「大学に行きたくない、働きたくもない、けれど何かをやりたいわけじゃない」「ただ何となく流されていただけ」と振り返っています。  そんな彼がどうして芸人を志して、漫才を始めたのか。決断には常に人物の影響があります。「あの時、あの人が、ああ言ったから」あるいは「あの時、あの人が、ああしたから」という体験があって、「だから自分はこうするんだ」と何かを決断します。  ビートたけしが漫才を始める際に影響を受けたのは、「Wけんじ」というお笑いコンビです。この時ストリップ小屋でエレベーターボーイをしていたビートたけしは、ストリップの幕間で行われるコントに代役として出演し、それがきっかけでお笑いの舞台を見るようになります。その時の感想を次のように記しています。 「正直にいって、何やってんだろうと思った。余りにもつまらないから。もうどうしようかと思ったね。近くの松竹演芸場やなんかに、Wけんじとか、その頃の売れっ子芸人が出てたから見に行ったけど、おいらには大して面白くなかった」  さらにその後、舞台を終えたWけんじがベンツに乗って帰っていくのを見かけて、「『へえー、あれでベンツに乗れるんだ』と変に感心しちゃった。だったら、おいらもやってみようかなと、そこで始めて漫才やろうと思った」と続けています。  この時のビートたけしの心情は「同格」です。あんなの別に大したことない。あれくらい自分にもできる。成功した人間が「失礼な話だけど」と前置きしつつ、「これくらい自分にもできると思って始めた」と振り返ることは珍しくありません。  もちろんそう思って始めてみると、「実際にはそんなに簡単なことではなく、失敗や挫折、試行錯誤を繰り返した」という体験談があとに続きます。ビートたけしの場合も例外ではなく、「ツービート」が評判になって売れ始めたのは、コンビを組んでから五年ほど経ってからでした。
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「自分にもできるかも?」心の動きを無視してはいけない
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