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安倍元首相は二度の消費増税に屈した以外、8年で一体何をしたのか/倉山満

あの時、保守政権復活の旗印は安倍晋三元首相だと、衆目一致して考えていた

言論ストロングスタイル 安倍晋三氏 菅義偉氏

9月14日、自民党両院議員総会で新総裁に選出された菅義偉氏が、安倍晋三氏に花束を手渡した。「安倍内閣の継承」、菅首相が真に目指すものとは一体…… 写真/時事通信社

 菅義偉首相の所信表明演説が行われ、ようやく本格的に新政権が始まった感がある。菅首相は「安倍内閣の継承」を掲げて当選した。規制改革など一部の行政問題を除いて独自色を抑え、基本的には安倍晋三前首相の路線を継承しているように見える。  ならば、そろそろ安倍内閣の総括を行っても良いのではないか。ちなみに私は約8年の政権で、最初の1年は積極支持、真ん中の6年は消極的支持、最後の1年は積極不支持だった。なぜか、その理由を説明しつつ、振り返りたい。  2009年、自民党は参議院で過半数を得ておらず、ねじれ国会に苦しんでいた。日銀総裁人事では与党案が通らず、野党民主党が推す白川方明を呑まねばならない惨状だった。  こうした状況を打開すべく自民党が総理に据えたのが麻生太郎だった。だが、麻生は早期解散に踏み切らず、リーマンショックで無策の限りを尽くした。挙句、任期満了近くまで解散権を行使できず、記録的な大敗で自民党は野党に転落した。  代わって与党になった民主党も無能だった。東日本大震災で不手際を連発、3年3か月の政権で唯一の成果が消費増税という惨状だった。  ところが、当時の野党自民党谷垣禎一総裁は、民主党を倒すどころか、公明党とともにデフレ下の消費増税に協力する有様だった。

多くの人々が「安倍さんしかいない」と動いていた

 こうした絶望的な状況の2012年、多くの人々が「安倍さんしかいない」と動いていた。国会議員だけでなく、在野の人々も、保守政権を打ち立てる旗印は安倍晋三元首相しかいないと衆目一致して考えていた。安倍は一般には病気で政権を投げ出した「終わった人」だったが、保守層での評価は高かった。多くの人が元首相の安倍のところに馳せ参じ、決起を説いていた。かくいう私も、当時は何度も会いに行っている。  そしていつしか、保守の人々の間では安倍決起が既定路線となっていった。政策は「まず経済」である。第一次内閣では不況に苦しみ、財務省や日銀の抵抗にあい、参議院選挙に負けて刀折れ矢尽きて、退陣に至った。その反省から安倍本人も景気を回復しなければ、やりたいことは何もできないと考えていた。「戦後レジームからの脱却」、すなわち「憲法改正」は最後であり、「まず経済」と考えていた。  そして、首相に復帰。経済の天王山を日銀に定めた。日本はなぜ不況なのか。デフレだからである。デフレとは、市場にモノが溢れているのに、貨幣が少ない状態のことである。モノの価値は希少性で決まる。国民が汗水流して商品を作っても(サービスの提供も商品である)、日銀がお札を刷らない限り、バランスはとれない。当時の白川方明日銀総裁は、かたくなに金融緩和(つまり、お札を刷ること)を拒否していた。理由は不明だが、バカかスパイなのだろう。白川が経済学を知らないバカなのか、敵国のスパイなのか分析しても仕方がない。その間にも失業者や自殺者が増え続けるだけだ。
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安倍首相は、ほどほどの首相であった
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