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司馬遼太郎は「保守」ではない、共産主義者ではなかっただけ/倉山満

小説家である司馬が大御所だったのは文壇であり、論壇ではない

 まさに『坂の上の雲』が典型だが、司馬作品においては日露戦争までの日本は非常に美化される。しかし、以後の日本近代史、特に昭和初期の歴史に関しては批判的で、しばしば「司馬史観は自虐的だ」と批判される。司馬自身もエッセイで、昭和初期に関して批判的な点を認めている。
司馬遼太郎と昭和 (週刊朝日ムック)

『司馬遼太郎と昭和』 (週刊朝日ムック、画像:amazonより)

 司馬が「保守」だと思われたのは、当時の他の言論人のことごとくが、多かれ少なかれ左翼色を帯びていたからだ。特に政治を語る論壇は、左翼と極左の全盛時代である。親ソ派と親中派が大喧嘩している論壇の片隅で、「保守」はひっそりと生息していた。小説家である司馬が大御所だったのは文壇であり、論壇ではない

左翼と極左の全盛時代、司馬が「保守」と目されたのは自然であった

 当時の言論界が、いかなる状況だったか。一九六〇年頃から表面化した中ソ論争は、一九六八年にソ連がチェコに侵攻したことで様相を変た。中国はソ連を社会帝国主義と呼び、ソ連は中国を反レーニン・反共産主義として罵り合っていた。これは日本の言論界にも影響する。  たとえば、上山春平という京都大学教授の哲学者は、『大東亜戦争の意味 現代史分析の視点』(中央公論社、一九六四年)などの著書で、先の大戦を肯定的に位置づけようとした。だが、その意図は「親中派」「親毛沢東派」からのスターリン批判である(「大東亜戦争の思想史的意義」『中央公論』一九六一年、『弁証法の系譜―マルクス主義とプラグマティズム』未來社、一九六三年)。「大東亜戦争」などという当時の放送禁止用語を使う上山でこれなので、他は推して知るべし。  共産主義者の批判をしている論者も、共産主義者である。そうした時代にあって、共産主義者ではない司馬が「保守」と目されたのは、自然であった。

司馬の主張を「小説の形を借りた歴史読物」と一刀両断した福田恆存

 司馬の存命中から、批判的だった数少ない「保守」言論人が、福田恆存である。福田は評論家であり、文芸批評家であり、翻訳家であり、劇作家であり、舞台演出家だった。
佐藤 松男 『滅びゆく日本へ  福田恆存の言葉』

佐藤 松男 『滅びゆく日本へ  福田恆存の言葉』(河出書房新社、画像:amazonより)

 司馬の重要な主張の一つは、日露戦争中の旅順攻略戦での乃木希典批判であるが、これに対し福田は「近頃、小説の形を借りた歴史読物が流行し、それが俗受けしてゐる様だが、それらはすべて今日の目から見た結果論であるばかりでなく、善悪黒白を一方的に断定してゐるものが多い。が、これほど危険な事は無い。歴史家が最も自戒せねばならぬ事は過去に対する現在の優位である」と一刀両断である(『中央公論 臨時増刊「歴史と人物」』、一九七〇年)。

論壇から干され続けた福田恆存

 もちろんこのことばかりが理由ではないが、福田は論壇から干され続けた。福田はイニシャルではあるが明らかにわかる表現で、司馬が雑誌『正論』に圧力をかけて、福田に執筆と講演をさせないように妨害している事実を記している(「問ひ質したき事ども」『中央公論』、一九八一年四月号。なお、このエッセイで福田は、自分が一年も執筆していない事実に気づかない読者にも慨嘆している)。  司馬の歴史観がどれほどのものだったか。これは公開情報になっていないと思うので、特に記す。司馬遼太郎と、ある高名な近代史研究家の対談が企画されたが、司馬の「不愉快だ」の一言で企画が成立しなかったことがある。理由は二つで、司馬自身がプロの研究者の水準にまったく達していなかったこと、もう一つはその研究者が反共の論者だったからである。  つまり司馬の立ち位置は「保守」よりも左であり、「共産主義者でなければレベルが低くても歓迎する」とされた時代の作家なのである。今でも「保守」業界で尊敬される福田からすれば、許し難い存在だったのだ。『保守とネトウヨの近現代史』
1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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