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藤井五冠への挑戦権を得た羽生九段、30年の全盛期を築いた「驚異的な復活力」/倉山満

「歴代名人すべての長所を兼ね備えている」

 ベテラン棋士からは「将棋に品が無い」などとも言われたが、先入観にとらわれず最善手を追求する姿勢は他の棋士の模範となっていく。  オールラウンダーで、あらゆる戦法を指しこなす。「歴代名人すべての長所を兼ね備えている」とも言われ、攻めにも守りにも強く、特定の勝ちパターンを持たない。いかなる形にも対応できる。水のように、柔らかく曲線的に包み込むが、時に激流にもなれる棋風へと進化していった。  19歳の時、名人と並ぶ将棋界最高のタイトルである竜王を獲得。頂点を極めた。これでもまだ発展途上。  翌年、谷川浩司に敗れる。この時は谷川との力の差は歴然だった。しかし、敗れたが1勝4敗。「その1勝が大きかった」と羽生自身が語っている。2年後に挑戦、今度は4勝3敗1引き分けの末に竜王を再奪取。以後、27年間無冠にならない。

羽生は同じ相手に3年連続負けなかった

 24歳で名人を奪取。名実ともに棋界の第一人者となった。  26歳で、七冠独占。これは「相撲にたとえると横綱が1年間6場所全勝優勝したような偉業」と称えられた。だが、実は七冠制覇に一度失敗して翌年に達成している事実は知られていない。六冠を達成、谷川浩司王将に挑戦したが敗れた。しかし、そこから一年間、六冠を保持。そして翌年、谷川にリベンジを果たしたのだ。つまり2年間で14のタイトル戦全てに登場、13回勝った。  18年間「無敵時代」を築いた大山康晴15世名人もそうだったが、仮に一度負けても翌年に必ず勝つ。同じ相手に二年連続は負けないので、第一人者で居続けられた。  羽生の場合は、同世代に強敵が多く、名人就任者だけで他に3人(森内俊之、佐藤康光、丸山忠久)。「羽生世代」とも言われ、これほどの強豪が同世代に集中するのは将棋の歴史500年で、この世代だけ。  世代のトップでいるために、羽生は同じ相手に3年連続負けなかった。リベンジマッチは受けて立って勝つ。自分のリベンジマッチは勝つ。負けても3回目で勝つ。いつしか、対羽生戦の勝率が5割に迫ると「羽生キラー」と呼ばれるようになった。
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実力で30年の全盛期を築いた羽生に100期に夢がかかる
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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