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作品を書きあぐねている人たちへ<鴻上尚史>

脚本 しこしこと、10月30日から始まる虚構の劇団『イントレランスの祭』の台本を書いています。 書いては気分転換を求めて、ツイッターを眺めたり、無理して書き込んだりしています。「どうしたら脚本を書けるんですか?」という質問をツイッターで受けました。

「先輩は『とにかく終わらせることだ』とアドバイスをくれるんですが、最後まで書けないんです」と文は続いていました。「とにかく最後まで終わらせること」というのは、一番基本のルールです。どんなに傑作でも、途中で終わっているものは評価の対象にはなりません。

 多くの作家志望の人達は、途中まで書いた作品を抱えているはずです。すべて、途中で「面白いとは思えなくなった」とか「アラが目立って前に進めない」とか冷静な判断力が働いた結果です。

 書いている途中から「おおっ、すごいぞ!これは傑作だぞ!」なんて感激している人がいたら、天才かアホです。たぶん、99.9999%アホでしょう。書けば書くほど、いろんなアラが目立つものです。この発見が、作品を書き続ける推進力を弱めます。

 そういう時は、確信を持って、そのアラに目をつぶります。なぜなら、それが本当にアラなのか、物語上必要な“ゆるみ”なのかは、物語が完結してみないと分からないからです。

 作品は、どんな形であれ、最後までたどり着いて初めて、何が必要で何が必要じゃないか分かります。逆にいえば、最後までたどり着かないのに、駄作か傑作か判断のしようがないのです。

 と書きながら、やはり、途中で行き詰まることはあります。物語がにっちもさっちもいかなくなる場合です。「台本の書き方レッスン」の本を出すと10年以上前から言っていますが、まだ書けていません。えらいこってすが、ちょっとだけここに書きます。物語に必要な「目的」と「障害」

◆物語に必要な「目的」と「障害」

 物語が行き詰まった場合、「目的」のレベルなのか、「障害」のレベルなのかを、まず見極めます。「目的」のレベルというのは、つまり、あなたが今書こうとしている登場人物は、この時点で、「どんな具体的な目的を持っているのか?」ということです。じつは、「具体的な目的」がない登場人物は、動けません。「地球を救いたい」といくら念じていても、「だから具体的に何をしたいのか?」ということがない人物には、具体的にやることはありません。ただ、祈るか心配するだけです。それでは、ドラマは生まれないのです。

 あなたが書こうとしている物語も、じつはもう「目的が実現している」場合や「目的が矛盾している」場合や「目的が抽象的すぎて何をしたらいいか分からない」場合があります。それを整理し、明確にするのです。具体的な目的が多すぎて行き詰まるということもあります。やりたい目的に順番がついてないので、登場人物は何から始めていいか分からず動けないのです。

「障害」のレベルというのは、その具体的な「目的」の実現を阻むために、ナイスかチャーミングか意外か切ないか、とにかく心動く「じゃまするもの=障害」があるかどうかを見極めることが大切です。じつは「障害がない」場合や「障害が抽象的すぎる」場合や「障害が簡単に乗り越えられる」場合などがあります。 今、この人物は何がしたくて、でも、何のせいでそれが実現できないのか――ということを常に明確にするのです。もちろん、大前提として「そもそもこの人物は何がしたくて、何がそれを阻んでいるのか?」という物語全体の設定は大切です。ですが、その大きな設定の中で各場面では細かな「目的」と「障害」のぶつかり合いが求められます。それがドラマであり、前に進む力なのです。 そして、「目的」と「障害」が明確になっても、どうしてもシーンが浮かばない場合は「ここで主人公は何らかの方法で迷宮を脱出して」と書いて、次に進むのです。細かなことは大切ですが、それは最後まで完成した後に考えることなのです。

 とにかくどんなにぶさいくな形でもいいから、最後まで書き終わらせること。それは完成ではなく、やっと執筆が始まる瞬間なのです。

 そこから全体を見直し、本当の意味で作品を書き始めるのです。 <文/鴻上尚史>

週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」

不謹慎を笑え (ドンキホーテのピアス15)

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