「ビットコインって、なんだか笑っちゃうんだよね」劇作家・宮沢章夫が描く貨幣の物語
「舞台」という枠組みのなかで、作り手は何ができるのか――。
宮沢章夫の主宰する遊園地再生事業団の公演を観るたびに、そんな作家の逡巡が劇のそこかしこから見て取れる。
座・高円寺で3月20日に初日を迎えた舞台『ヒネミの商人』が、現在話題を呼んでいる。
1980年代半ば、竹中直人やいとうせいこう、シティボーイズらとともに“笑い”の新機軸を模索した「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」。この伝説のユニットで作・演出を担当していた宮沢が1990年に立ち上げた遊園地再生事業団は、約4年の活動休止期間(1999年~2003年)を挟み、今も年1本程度の割合でコンスタントに公演を打っている。
温水洋一、山崎一、大杉漣、松村利史……といったバリアントな佇まいの“怪優”を好む宮沢の描く世界は、日常に潜む“どうでもいい”シーンのひとつひとつのスケッチを丁寧に繋ぎ合わせ、より深い場所に横たわっているテーマを炙りだしていく手法だが、それまで幅を効かせていたカラダを駆使した“押し付けがましい”演劇に対し、敢然とアンチテーゼを掲げるものだった。
執拗なまでのフラットな台詞回しが特徴的だった宮沢の舞台は、“演技をしない俳優”を好み、時に、スチャダラパーやミュートビートのトランペッター・小玉和文、ムーンライダースの鈴木慶一、さらには、漫画家のしりあがり寿など別世界の住人を果敢に俳優として起用。サブカルチャーとしての小劇場演劇を語るうえで、当時、コペルニクス的転回とも言えるほど画期的な手法として、後に続く多くの作家たちに多大な影響を残したと言っていいだろう。
そんな宮沢が、何度目かの変節を遂げようとしている。
昨年は、シティボーイズのライブに、久しぶりにオリジナルのコントをモチーフにした戯曲を提供。加えて、市川海老蔵に請われ歌舞伎の台本も書き下ろし、ラジオのドキュメンタリー番組も手掛けた。1980年9月30日に放送された故・林美雄の『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)の最終回、突然訪れた「空白の3分16秒」の謎を追ったこの番組は、彼を知らない世代をも唸らせる出来だった。
そんな宮沢が、“ホーム”である遊園地再生事業団で今回新たに試みるのは、過去に自らが手掛けた『ヒネミの商人』の再演だ。なぜ今、21年も前の作品を再度上演しようと思い至ったのか? 宮沢本人にインタビューを試みた。
――そもそも、遊園地再生事業団の公演で「再演」という形式は珍しいが。
宮沢:単に僕が(今回上演する戯曲を)好きだったので、もう一度やってみたいという思いが強かったんです。‘93年の初演のときは、俳優はみんなボソボソ……としか喋ってなくて、もちろん、それ以前にあった演劇に対するカウンターの意味合いがあったのでそういった作りになるんだけど、今はそういう作り方も含めて、何でもアリのような時代になっているから、20年経って改めて、戯曲そのものを見直してみたいという思いからやろうとなった。
――初演時のキャストは、中村ゆうじ、宮川賢、ふせえり、山崎一、小浜正寛……そして、5年前に急逝した深浦加奈子の名が並んでいる。今回の再演では、中村と宮川が初演時と同じ役を演じるが、20年の歳月を経て同じ戯曲を公演するにあたり、時代とどう折り合いをつけようとしたのか。
宮沢:中村くんと宮川くんが同じ役をやるわけだけど、初演時にはある年齢の人間を演じていたのが、今回はむしろ戯曲に書かれた年齢に近くなっている。今、演じたらどうなるんだろう……っていう興味はあったよね。この20年の間に、戯曲をボリュームアップしようとか、レベルを上げようという考えはまったくなくて、本をイジるのではなく、役者が年齢を重ねて再び演じたとき、何が変わり、何が起きるのかというのが中心にある。ただ、初演とまったく同じキャストでやるのは不可能な話……。20年以上経って何が起こるんだろう? と、自分自身も面白く感じている。
――20年は長い。O・ヘンリーの『20年後』ではないが、人をまったく別のものにしてしまう。
宮沢:例えば同じ街でも、僕らの身長が変わったら目線が変わるので、まったく違ったものとして見える。この道、こんなに狭かったっけ? ということはあるよね。こうしたことは、今回稽古をやっていても感じました。ただ、「あれ? オレこんなこと書いたっけ?」というのが一番多かったんだけど(苦笑)。あまりにもクドいので一部削ったりはしたけど、加筆はほとんどしていませんね。
――再演は「原点回帰」の意味合いを含んでいる。
宮沢:再演をやることで、自分にはどう見えるか試したかった。決して懐かしさとかではなく、単純に舞台がどう変わっていくのか……俳優が変われば、当然、物語の見え方も変わるわけだけど、演劇って俳優のカラダが“主体”でしょ。だから初演時に深浦(加奈子)・中村(有志)の組み合わせだったキャストが、再演で片岡(礼子)・中村(ゆうじ)に変わったことで、何か違うものが生まれるだろうし、それを試したかった。いろいろなことを考えた結果、今回はそういう部分をやってみたかったし、こうした試みが一番面白いからね。同じことをやっていると飽きるけど、今回は過去の戯曲のなかでも割と気に入っている作品でやってみた、ということです。
――シェークスピアの『ヴェニスの商人』が下敷きにある戯曲だが、今、あえて訴えたいテーマになるのか。
宮沢:この戯曲を書いたのが‘93年。まさにバブルが崩壊して、その後ズルズルと失われた10年、20年へと連なっていく始まりの頃。当時、経済学者の岩井克人さんが書いた『ヴェニスの商人の資本論』が話題になっており、こういうテーマを一度戯曲に落とし込んでみたいって漠然と思って書き上げたのが、『ヒネミの商人』だった。その後、僕自身もマルクスの『資本論』を長い時間かけて読むという無謀な連載をやったこともあって、あれから20年経った今、貨幣をテーマに改めて何かやりたいという思いになったんです。そもそも貨幣って、みんなの信用に支えられて流通しているわけだけど、それがなくなったら“ただの紙切れ”でしかなくなる……最近ニュースになったビットコインに至っては、実物すら見たことがないという(笑)。取引所のシステムが脆弱だったためハッキングされたと報道されていたけど、たどたどしい日本語の太った外国人(カルプレス・ロベートMTGOX社長)が、突然会見場に出てきて「ビットコインがいなくなってしまいました。ゴメンナサイ」って何だよ!(笑)っていう話ですよ。どうやら存在していたらしいが、自分の預り知らないところで、それはすでに消えてしまったらしい……。そう聞いてしまうと、もちろん怖さもあるけど、なんか笑っちゃうんだよね。僕は、ビットコインの仕組みとか実態を知らなかったんだけど、あの現象そのものが面白かったというのはありますね。
誰も気づかないうちに、マイニング(発掘)に汗を流す錬金術師が現れ、取引所がいくつかできたかと思うと、そのひとつが人知れず姿を消した……。確かにビットコインは、私たちの生活のなかにいつの間にか浸透していた貨幣と同じように突如出現した。
物語に描かれている、昔確かにそこにあった「ヒネミ」という町と同様、貨幣もまた、そもそも幻想なのだ。 <取材・文/山崎元(本誌)>
●遊園地再生事業団プロデュース『ヒネミの商人』
作・演出・美術:宮沢章夫
出演:中村ゆうじ、宮川賢、片岡礼子、ノゾエ征爾、笠木泉、上村聡、佐々木幸子、牛尾千聖、山村麻由美
3月30日まで座・高円寺1にて公演中
お問合せ:ルアプル/[E-mail] info@roa-polo.com [TEL] 080-8470-5550
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