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【ビッグダディ×武藤敬司】体育会系の上下関係は何十年たっても変わらない

週刊SPA!連載【ビッグダディのさすらい乱取り】出稽古編
“日本一有名な大家族”の父が世間からの批判と真っ向勝負!

武藤敬司<今回の訪問先>武藤敬司氏

 今年1月から連載がスタートし、厳しい世間の声を真っ正面から受け止めてきたビッグダディの「さすらい乱取り」。最後の対談相手は、ダディの母校である東北柔道専門学校(現・学校法人東北柔専仙台接骨医療専門学校)の3期先輩にあたり、同じ柔道部に在籍していた“平成のミスタープロレス”こと武藤敬司だ。

ダディ:(姿勢を正して)武藤先輩、本日はどうぞよろしくお願いします。

武藤:おう。こちらこそ。実は後輩だってこと、つい最近知ったんだよね。

ダディ:そもそも自分らの代は、武藤先輩の代まで続いていた柔道の全国制覇をストップさせた世代でして……。

武藤:そうなんだ。俺らの代は北海道警察の柔道部と試合しても互角なくらい強かったけどな。レギュラーだったの?

ダディ:とんでもない! 遠征試合に1回ついていった程度でした。在学時期も被ってませんが、武藤さんが卒業されてから学校にいらしたとき、挨拶程度ですが声をかけていただいたことがあります。

武藤:ごめん、全然記憶にないわ(笑)。

武藤敬司

武藤敬司氏

ダディ:武藤先輩の世代はとにかくスゴくて、在学中、繁華街で出入り禁止の飲食店がたくさんあったと聞いてます。

武藤:そんなこともあった……かな? でも、真っ黒い上下のジャージを着て集団で街を練り歩いてたから、確かに地域の人たちのイメージはよくなかったかも(笑)。何より俺の在学中は、柔道部員が120人もいる大所帯だったんだよね。

ダディ:うちの学校は専門学校にもかかわらず上下関係にとりわけ厳しく、先輩の命令は絶対でしたから、それはもう地獄のような毎日でした。

武藤:JRの駅のホームで、先輩に「ミンミンゼミの物真似をしろ!」って命令されて、電信柱によじ登って「ミ~ンミンミンミン」って鳴いたり、もうめちゃくちゃ理不尽だったよな(笑)。

ダディ:自分はスクランブル交差点で、「ほふく前進しろ!」と言われ、大衆の面前でほふく前進で渡ったことがあります。でも、今振り返ってみると、あの厳しい学校を逃げ出さずに卒業したことは、自分のなかではけっこうな自慢というか、自信に繋がっています。

武藤敬司

体育会系の厳しい学校で育まれた上下関係は、何十年たっても変わらない。終始歯切れが悪く、“ビッグ”なダディの威厳は一切なかった

武藤:ところでさ、テレビに出ているのはなんとなく知ってたけど、そもそも何で出るようになったの?

ダディ:いや、あの……たまたまなんですけど、子どもが8人いて、女房に逃げられた頃、珍しいからテレビに出てみないかと5年くらい説得されて。

武藤:でも、この少子化の時代、子だくさんなのはいいことじゃないの。

ダディ:そう言っていただけると嬉しいです! でも、世間一般からすると「後先考えず、家族を巻き込んで自分勝手に生きやがって」と映るみたいで。

武藤:そいつの人生だし、他人に迷惑かけなきゃ自由に生きていいと思うけど、そんなに風当たりが厳しいんだ、君は。

ダディ:ええ、まぁ……(苦笑)。配偶者に対して我慢に我慢を重ね、ようやく離婚できてホッとしてる人からしたら、俺のように好き勝手に離婚、結婚を繰り返して生きてるような奴は腹が立つと思いますよ。それにしても、まさかこんな形でお会いするとは思ってませんでした。自分なんかはしょっちゅう子どもたちに、「あの武藤敬司だって新日本プロレスを3日で『辞めたい』と言ったけど、そこで踏みとどまったからこそ今の地位があるんだぞ!」と、武藤さんのエピソードを勝手に子育てに利用していましたので。

武藤:それはちょっとロイヤリティもらわないといけないなあ(笑)。

 華やかなトークでダディを圧倒する武藤氏。一方、先輩の壁は高すぎたのか、いつもの豪快さは鳴りを潜め、恐縮しっぱなしのダディ。このままギブアップか!? この対談の続きじゃ週刊SPA!での連載をまとめた単行本『さらば、ビッグダディ

<ダディの言い分>
何年たとうが、体に染み付いた上下関係は拭い落とせない!

【林下清志】
1965年岩手県生まれ。’06年9月から放送された『痛快!ビッグダディ』が反響を呼び、話題に。現在は盛岡市で「盛おかや」を営む。
ブログは http://ameblo.jp/big-daddy0408/

【武藤敬司】
’62年生まれ。’84年デビュー。類い稀な体格と天性の格闘センスでプロレスをリードする。現WRESTLE-1代表

<撮影/山田耕司>

さらば、ビッグダディ

読者とのやり取りを収録した一冊!




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