更新日:2023年05月18日 16:00
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“絶対に怒らない男”をキレさせるために苦心した結果――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第76話>

 昭和は過ぎ、平成も終わり、時代はもう令和。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」

【第76話】アンガーマネージメント哲さん

 怒りとは二次感情だ。  つまり、ボワッと突如として心の中に生まれる感情ではなく、その前に必ず別の感情、一次感情が存在するということだ。  例えば、お酒を飲んで帰ってしまい、いつも以上に帰りが遅くなり、妻が怒っているとしよう。サザエさんなどの場合、玄関の引き戸から鬼のシルエットが投影されているシーンだ。寿司を持って帰宅したマスオや波平が怯む場面だ。マスオさんは「あわわわわ」とか言っているはずだ。  サザエもフネも突如として「帰りが遅い! 許せぬ!」みたいな感情が湧いて鬼になっているわけではない。そこには、連絡がないけど何かあったんじゃ、という不安の感情や心配の感情、夕飯の用意が無駄になったという徒労感、絶望、そして連絡一つ寄越せないという軽い扱いに対する寂しさ、これらがあるわけだ。そうやって生じる自然な感情、これらが一次感情だ。  これらの感情を相手が分かってくれない、いくら言っても伝わらない、直らない、っていうかこいつ分かってんのか? そんな時に初めて怒りという感情が生じる。それは伝わらせるため、分からせるため、なのだ。怒りが二次感情であるとする点はまさにそれで、その前に必ず別の感情があり、それを伝えるために怒りが生じているわけだ。  つまり、誰かの怒りに直面した時、突如として狂ったように怒っているわけではない、と分析することが大切だ。そこには必ず、伝わっていない一次感情があるはずなのだ。  逆に自分が怒りの感情に身を委ねていると感じた時、その怒りに振り回されるのではなく、その根底にある一次感情はなんであるかを探る必要がある。寂しさが原因でそれが伝わらなくて怒っているなら、その寂しさを解決することのほうが、感情に任せて怒り散らすことより重要だ。  これがいわゆるアンガーマネージメントと呼ばれるものである。 「つまり、怒ってはいけないということではないのです。人間は怒ります。ただ、適切な時と場所で適切な形で表現しなければならないのです。なぜなら、伝わらなくて怒っているのですから、伝わる形で見せなければ意味がないからです」  冒頭からの一連の話の後に、目の前の講師はそう続けた。  今日はそういったアンガーマネージメントを学ぶ研修に来ていた。様々な会社や職種の人が集まる研修だったが、そう考えるとそれぞれの職場でアンガーマネージメントが必要そうな人、めちゃくちゃ理不尽に怒り狂う人などが代表で派遣されてきたのかとついつい穿った見方をしてしまいがちだが、たぶんそうではない。  それは完全に杞憂で、我が職場から派遣されてきたのは、僕ともう一人、職場では“仏の哲さん”の異名で知られるおっさんだった。僕自身はまあまあ怒り狂いやすい性分なのでアンガーマネージメントが必要とも思われるのも理解できるが、哲さんは違う。アンガーとは無縁の存在だ。  仏の哲を語る上で重要なエピソードがある。あるとき、事務的な手違いで哲さんの有給休暇がまるっと20日分消失してしまったことがあったのだ。俗にいう20日事件だ。  僕なんかをそれを知ろうものなら20日分の休みを寄越せと人事のオフィスで抗議のシュプレヒコールも辞さない構えで怒るが、哲さんは違った。 「あまり休暇が多いとカミさんが旅行に連れて行けって言うからね。節約できてうれしいよ」  そう言って笑っていた。もう聖人を通り越して気持ち悪さを感じるくらいだ。こんな人がアンガーマネージメントが必要だとはとてもじゃないが思えない。  それにしても、目の前のアンガーマネージメント講師はかなり怪しげな風貌の男だ。なんというか、言い知れぬ軽薄さを感じるし、めちゃくちゃ怒りやすそうな男なのだ。下手したらドラゴンボールのことをドラゴボと略しただけで怒りだしかねない危うさがあった。そんなアンガーマネージメントできてなさそうな講師にアンガーマネージメントを学んでいる、この会場にいる誰もがそんな想いを胸に抱いているようだった。 「問題は怒りを知ることです。そうですね、ちょっと怒りの共有をやってみましょうか」  ドラゴンボールのことをドラゴボと略すだけで怒り狂いそうな講師の男はマイクを振り回し、軽快な口調でそう言った。 「ちょっと二人一組になって、お互いに怒った経験を話してみてください。そして怒りを共有しましょう。そして話し合いで一次感情を探ってみてください」  僕はこういうことを言いだす講師を基本的に信頼しない。なぜなら、そういったことをするとなんとなく「何かが変わった」という錯覚を与えることができるが、それは錯覚なだけで本質的には何も変わっていないからだ。それを誤魔化すためにこういうことをやりがちなのだ。
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仏の哲の怒りのポイントを必死に探るが……
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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