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“金網マッチ”ホーガン対バンディ――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第59回

「フミ斎藤のプロレス講座別冊」月~金更新 WWEヒストリー第59回

 アメリカ大陸横断3都市同時開催という“超大作”となった“レッスルマニア2”のPPV生中継は、第1部のニューヨーク、第2部のシカゴを経由し、最後のロケーションであるロサンゼルスのLAスポーツ・アリーナへと移動した(1986年4月7日)。
写真はWWEオフィシャルDVD『レッスルマニア2』ジャケットから

“レッスルマニア2”ロサンゼルス版のメインイベントは、ハルク・ホーガン対キングコング・バンディの金網マッチ。この時代のホーガンの定番パターンといっていい典型的な勧善懲悪ストーリーだった。(写真はWWEオフィシャルDVD『レッスルマニア2』ジャケットから)

 ニューヨークのナッソー・コロシアムは1万5500人、シカゴのローズモント・ホライズンは9000人、LAスポーツ・アリーナは1万4500人をそれぞれ動員。“レッスルマニア2”は3都市で合計3万9000人の大観衆を集めた。  ロサンゼルス大会のラインナップは、リッキー“ザ・ドラゴン”スティムボート対ハーキュリース・ヘルナンデス、アドリアン・アドニス対アンクル・エルマー、テリー&ホスのザ・ファンクス対ティト・サンタナ&ジャンクヤード・ドッグ、ハルク・ホーガン対キングコング・バンディの4試合。  1970年代から1980年代前半まで全日本プロレスの常連だったファンクスが“レッスルマニア”に出場していたという事実はちょっと意外な感じがしないでもない。日本では絶対的なベビーフェースだったドリーはWWEのリングではホス・ファンクというリングネームを名乗り、カウボーイ・スタイルのヒールを演じていた。  ファンクス対サンタナ&JYDのタッグマッチは、テリーがマネジャーのジミー・ハートのメガホンでJYDの額を一撃し、いかにも悪役らしいフォール勝ちをスコアした。つねに沈着冷静で無表情なドリーよりも激情型のテリーのほうがヒールに向いているようだった。  メインイベントのホーガン対バンディの金網マッチは、この時代のホーガンの定番パターンだった勧善懲悪ストーリーの典型といっていい、きわめて単純な因縁ドラマの完全決着戦。WWE世界ヘビー級王者として3年めを迎えたホーガンは、いわゆるビギナー層のためのシンプルでわかりやすいプロレスを構築していた。
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