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“Mrワンダフル”ポール・オーンドーフ――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第60回

「フミ斎藤のプロレス講座別冊」月~金更新 WWEヒストリー第60回


 アナログ・レコードにたとえると、ポール・オーンドーフはハルク・ホーガンの“B面”のような存在だった。

写真はアメリカの専門誌『レスリング・アイ』表紙から

“ミスター・ワンダフル”ポール・オーンドーフは、アナログ・レコードにたとえるならば、ハルク・ホーガンの“B面”のような存在だった。(写真はアメリカの専門誌『レスリング・アイ』表紙から)

 オーンドーフは、ビンス・マクマホンが全米進出プロジェクトの準備段階で“南部NWA”からリクルートした第1グループのひとりで、1983年6月にWWEと契約。ホーガンがアイアン・シークを下しWWE世界ヘビー級王座を獲得した日、オーンドーフもマディソン・スクウェア・ガーデンのリングに初登場した(1984年1月23日)。

 ガーデン定期戦におけるホーガンのWWE世界王座初防衛戦の相手もオーンドーフで(1984年2月20日)、“レッスルマニア1”のメインイベントはホーガン&ミスターT対ロディ・パイパー&オーンドーフのタッグマッチだった(1985年3月31日)。“ミスター・ワンダフル”オーンドーフは、つねにホーガンのすぐそばに立っていた。

 1949年、フロリダ州ブランドン生まれで、年齢ではホーガンよりも4歳上になる。タンパ大時代はフットボールで活躍し、1973年のNFLドラフトでカンザスシティー・チーフスに指名されたが、シーズン開幕ロースター入りできず退団。翌1974年、ニューオーリンズ・セインツに在籍後、マイナーWFL(ワールド・フットボール・リーグ)のジャクソンビル・シャークスでプレーした。

 1976年にプロレス転向を決意し、タンパ在住の日本人レスラー、ヒロ・マツダ(元NWA世界ジュニアヘビー級王者)のマンツーマンのコーチを受けた。大学卒業後、プロフットボールを数シーズン経験したため、27歳という年齢での比較的遅いデビューだった。マツダはホーガン、レックス・ルーガー、ロン・シモンズらにレスリングの手ほどきをした名伯楽で、オーンドーフは“マツダ道場”ではホーガンの2年先輩にあたる。

 NWAフロリダでデビュー後、MSWA(ミッドサウス・レスリング・アソシエーション=ルイジアナ、ミシシッピ、オクラホマ、アーカンソー)、NWAジョージア、NWAクロケット・プロ(ノースカロライナ)とおもに南部エリアをサーキット。ジミー・スヌーカとのコンビでNWA世界タッグ王座、ノースアメリカン王座(ルイジアナ)、ナショナル・ヘビー級王者(ジョージア)といったタイトルを獲得した。

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前田日明の凱旋マッチの対戦相手

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