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人気脚本家・遊川和彦が60歳を過ぎて“映画監督デビュー”をしたワケ

『家政婦のミタ』『女王の教室』など、数々の傑作ドラマを世に送り出してきた脚本家の遊川和彦。“熟年離婚の危機を迎えた夫婦”を描いた映画『恋妻家宮本(こいさいかみやもと)』では「監督をやりたい」という30年越しの願いをついに叶えた。新たなステージに挑む希代のヒットメーカーが、エンターテインメントにかける思いを語り尽くす。

遊川和彦――60歳にして、初めてメガホンを取ることになったきっかけは?

遊川:きっかけも何も、僕は映画監督になりたくてこの業界に入ったんですよ。ただずっと、オファーが来なかっただけでね。こう見えて実はとても控えめな人間なんです(笑)。だからずっと「やらないか」と言われるのを待っていたんですね。「鳴くまで待とう」の精神で、30年間、待ちました。

――30年目にして、ようやくお声がかかった。

遊川:今回の作品も、最初は脚本だけのオファーだったんです。まずは「原作ものですが、書いてくれますか?」という打診が来て。で「書きます。でもすごく変えますよ」と。それでも「いいですよ」と相手が言ってくれたので変えたら「どんどん俺独自の世界観になったけど、これ、誰が演出するんですか」って。心のなかでは「早く俺って言ってくれ」と願いながら(笑)。

――脚本家のイメージが強すぎるんでしょうか?

遊川:それもあるかもしれませんね。あと、やっぱり僕とやると何か面倒なことになるんじゃないかって、皆思ってるんじゃないかな。

――武勇伝はいろいろお聞きしています。脚本を手掛けた作品で、演出家がいるのに自分で演出したり、AD時代には台本を印刷所で勝手に直してしまったこともあったとか。

遊川:確かに、ADの頃から偉そうなことを言ってましたね。現場に最後に行くようなADでしたし(笑)。制作会社にいたんですけど、当時はテレビ局の社員じゃないと演出ができなかったんです。すると、自分より無能な若者が演出家をやるわけですよ。それが我慢できなくて脚本に行った部分もあります。実は、あと2~3年待っていれば、社員じゃなくても演出家になれたんですけどね。その恨みもあって、脚本家になってからも現場でいろいろと(笑)。

――遠慮のない注文を。

遊川:だって、「これはつまんない。俺はこっちのほうが面白いと思います」と意見を言うことは自由じゃないですか。作品づくりって、誰が言っていることが正しいとかいうことじゃなくて、どれが正しいか、本音をぶつけ合って、みんなで探り合うものだと思うんですよ。

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