「佐村河内とはいつも喫茶店の喫煙ルームで打ち合わせしていた」西寺郷太×新垣隆 “ゴーストライター騒動”を語る【最終回】
西寺:映画に関して付け加えれば、僕が驚いたのは佐村河内さんの自宅に芸術的なニオイがまったくしなかったこと。例えば僕の自宅なら、CDやレコードや本はもちろん、ライオネル・リッチーと会ったときの写真とか、ジャクソンズのサインや記念品が飾ってあるわけです。ミュージシャンって、何かしらそういう思い出の品を置く。もちろん楽器やターンテーブル、ステレオも含め。でも、映画を観る限り、引っ越してそのままの部屋にテレビだけ置いてある感じ。音楽家の家とは到底思えなかった。テレビばかり観てますし(笑)。僕が騒動の渦中にいたとすれば、わざわざワイドショーや憎む人が出てる番組なんて見ないですよ。
新垣:私も彼の謝罪会見は、テレビで見ました(笑)
西寺:チャイコフスキーだったりマーラーだったり、耳がまだ聴こえている時に買ったレコードを「これだけは捨てられないんだよね」って一枚飾っているだけでもいい。森監督が家に来るとなれば、一週間もあれば何とでも用意できたはずです。なんなら“聴こえない苦悩”を演出するために、そのレコードが割れていたり(笑)。もう一つ疑問なのが、耳が聴こえないならロジックやプロツールズなどPCで作曲したほうがよほど便利なのに、佐村河内さんはシンセの中で作曲してましたよね。20年前ならともかく、今あの小さなパラメーターだけでオーケストラを打ち込んでいる人は少ないだろう、と。
新垣:あれは楽器の名前が書いてあるだけですよ。
西寺:試写会の後でミュージシャン仲間が集まったときに「なんであんな環境でやってるんだろう? 逆に難しいよね(笑)」って話になりました。ただコンピューターを使った作曲環境作りって、結構最初が面倒くさいんですよ。セッティングとかアップデートとか。僕だって専門家に頼んでますから。ちなみに佐村河内さんはピアノを弾けるんですか?
新垣:ほとんど弾けません。コードくらい。彼は大体ラドミ、ファラド、ソシレ、ミソシで作るんです。それをトランスポートして。
西寺:ちなみに、映画で印象的だった佐村河内さんの奥さん。彼女はどんな方なんですか?
新垣:純粋な佐村河内信者ですね。全部わかっていて、そのうえで嘘に協力しているんです。
西寺:なるほど。でも、そうした虚実の曖昧さ、報道の多面性がテーマならば、なおさら僕は今からでも新垣さんに密着して欲しいですね。新垣さんは、この騒動、そして映画について今どのような感慨をお持ちですか?
新垣:いろいろな受け取り方があって、僕はそれでいいと思います。2年前に彼の自伝が嘘だったと出版元の講談社が謝罪したとき、彼は「半分は嘘だけど、半分は本当だと」と主張しました。つまり、「幼少期に音楽のスパルタ教育を受けた」などのエピソードは嘘で、「耳が聴こえない」ことに関しては本当だと。それで自殺未遂を2回したとか、実際はほとんどが嘘なんですが、それでも「半分は本当」で謝罪として成立してしまった。だから、彼の中では「半分は本当でいける」となっている。つまり、彼の中ではそれがREALで、実際にREALかFAKEは、あまり意味のないことだと思います。
西寺:新垣さんと話すとき、佐村河内さんは映画でのテンションと同じなんですか? それともまったく別の人格とか?
新垣:映画のままですね。ただ、奥さんは必ず席を外していました。
西寺:じゃあ、絶対に耳が聴こえてますよね。
新垣:これまで繰り返し言ってきたことです。彼はロックバンドをやっていたので、そのせいで多少耳が遠いのかもしれませんが。当時はボーカルで、歌は上手いんですよ。
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