篠山紀信に女装グラビアを撮ってもらった小説家の肖像―仙田学の『女のコより僕のほうが可愛いもんっ!!』
ところがお金を出せば買えるおもちゃと違い、女性の肉体はどうすれば所有できるのか、見当もつかなかった。どうすれば所有したことになるのかも、所有した後に何をしたいのかもわからない。ただ闇雲に、渇望だけが募っていく。手に入れることができないものだからこそ渇望が募るのだと、薄々気づいてはいた。
私は不可能なことにこそ挑みたくなる性格だ。どうせ手に入らないのなら、いっそのこと求めているものに自分がなってしまえばいい、と考えた。仮面ライダーに憧れるあまりに、ベルトを欲しがるだけでは飽き足らず仮面ライダーそのものになることを夢見る幼児のように。
グラビアアイドルになりたい、と当時から自覚していたわけではない。なにかをしたい、欲しい、という願望と、実際にそれらを行動に移したり手に入れたりする行動とのあいだには、必ずしも因果関係が成立するわけではないだろう。何かをしてしまったり、手に入れたりしてしまってから、実はそれを望んでいたのだ、と気づかされることもある。
たとえば夫になることを、私は積極的に望んでいなかった。同棲生活を3年ほど続けたあげく結婚に踏み切ったのは、4人姉妹のうち妻以外の3人が次々と結婚した年だった。なんとなく流れに乗ったのだ。そう言うと消極的に聞こえるかもしれない。だが私たちは何度も離婚の危機を迎えており、そのたびに引き留めていたのは私のほうだった。妻との結婚を強く望んでいたことを、私はそのたびに知ったのだ。結婚した後になって。子どもを持つことも、望んではいなかった。恐れていた。父親に対するわだかまりが解消されないまま大人になった自分には、父親になれる資格などないだろうと。資格のなさに直面することを考えただけで絶望的な気分になった。ところが父親としての資格は、他ならぬ我が子から与えられた。パパ大好き、と抱きつかれるたびに、この子にずっと出会いたかった、そのために生きてきたのだ、と感じずにはいられなくなる。
グラビアアイドルになりたいという願望も、女装姿でグラビアページを担当させていただいた体験が自覚させてくれたものだった。
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